斜陽と言われたフェデラーが聖地で示した“正しさ”=ウィンブルドンテニス

内田暁

バーゼルでの優勝で振り払った疑念

11年11月のバーゼルを制したフェデラー。この大会で優勝以上のものを手にした 【Getty Images】

 だからこの後、フェデラーはしばらくの間コートを離れた。疑念を振り払い、自分のテニスが正しいことを、そして「必ず再びグランドスラムで勝てると信じるため」には、しばしの時間が必要だった。そして約2カ月後の11年11月、フェデラーは地元スイスのバーゼル大会で、決勝で錦織圭(日清食品)を破りトロフィーを掲げる。その時に見せた涙の深淵は、彼が20年以上掛けて築いたテニス観にあったのだ。

 そしてこのバーゼルでの優勝を機に、フェデラーはパリマスターズ、そして年間ベスト8の強豪のみが集う“ツアー最終戦”をも制している。「失いかけた自信や信念を取り戻し、12年には何かができると信じられたのはこの時だった」と、後にフェデラーは打ち明けた。同時に彼は、「今年は大勝負では、リスクを追って攻めていこうと決めていた」とも明かしている。今季のフェデラーは、自らのテニス哲学を土台としながらも、いざという時はそこに、挑戦者としてのがむしゃらさと大胆さを打ち立てる覚悟を胸に秘していたのだ。

記録より深く刻まれた偉大な王者の記憶

 その彼の正しさを証明する場所には、やはり“テニスの聖地”であり、過去6度優勝してきたウィンブルドンがふさわしかった。かつてジョン・マッケンローに「彼が芝の上で踏むステップは、ピンが落ちる音も聞こえるほどに静か」と言わしめた流麗なフットワークは、今なお健在である。スライスやトップスピンを用いてオープンスペースを作り、そしてネットに出て繊細なタッチのボレーや豪快なスマッシュをたたきこむ理詰めのプレーは、伝統あるコートで映えた。

 さらに決勝では、天までもがこの“テニス界が生んだ最高芸術品”に味方したろうか。セットカウント1−1で迎えた第3セット。雨天のために屋根が閉ざされたことにより、「風の影響を受けなくなりサーブが安定した。だから、より攻撃的に攻めることが可能になった」とフェデラーは言う。コートから不確定な夾雑物(きょうざつぶつ)が排除されたことにより、フェデラーの緻密さは確実にポイントに反映されるようになったのだ。己の信じるものを一つ一つ積み上げ、再び到達した世界の頂点。3年ぶりとなるウィンブルドンの賜杯を慈しむように抱きかかえながら、フェデラーは「このトロフィーは、僕の手元を離れたことなんてないような気がするよ」と涙混じりの笑顔を見せた。
 
 どちらが勝っても歴史が生まれる一戦で、生まれた記録は数多ある。

 史上最多となる17個目のグランドスラムタイトル。ピート・サンプラスと並ぶウィンブルドン7回目の最多優勝回数と、やはりサンプラスに並ぶ286週の通算1位在位記録。さらにはアンドレ・アガシに次ぐ30歳335日での史上2番目のグランドスラム優勝年長者記録。

 だがそれらの大記録よりさらに大きいのは、“斜陽”をささやかれてなお、彼が示した強さにより、人々の心に刻まれた偉大な王者の記憶である。

<了>

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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