バーにはじき返されたポルトガルの夢=B・アウベスがあのまま蹴っていたら

市之瀬敦

ピークだったチェコ戦

序盤2試合は不発だったC・ロナウド(左)だが、オランダ戦、チェコ戦と勝利を決めるゴールを挙げるなど、さすがの活躍を見せた 【写真:AP/アフロ】

 ベント監督も、代表選手たちも、おそらくはグループリーグを2位で通過というのはもくろみ通りの展開であっただろう。そして、グループAからどのチームが残ったとしても十分に勝機はあると踏んでいたはずである。首位で通過してきたのはチェコであったが、ポルトガルはもはやひるむことはなかった。

 それまでの対戦成績を見ると実力伯仲の両国であったが、今回に限って言えば、力の差が明瞭すぎた。ポルトガルが完全にゲームを支配し、チェコにできたことと言えば、0対0のまま120分間を持ち堪えPK勝負に持ち込むという算段だけ。しかし、絶好調だったC・ロナウドがそれを許さない。バイシクルシュートを披露したかと思えば、ロングボールを胸で受けそのまま体を回転させて強烈なシュートを放つなど、最高レベルのプレーを見せたC・ロナウドは最後にヘディングで決勝点をマーク。エースの名にふさわしい活躍でポルトガルを準決勝に導いたのであった。

 だが、振り返ってみれば、ポルトガルのピークはこのチェコ戦だったのかもしれない。スペインより2日間も休養が多く、フィジカル的には恵まれていたはずのポルトガルだったが、準決勝では延長戦に入るとガクンと体力が落ち、何度もスペインに危険な場面を作られてしまった。スペインにやりたいサッカーをやらせていなかった90分間で、ポルトガルは決着をつけるべき試合であった。逆に言えば、PK戦では幸運でなかったものの、120分間で無失点というのは、ポルトガルにもかなりツキがあったということなのだろう。

MVPはモウチーニョに

 ポルトガルの5試合を見て、最も目立つ活躍を見せた選手がC・ロナウドであったことは確かである。3ゴールを決め、チームの躍進に大きく貢献した。

 しかし、もしポルトガルのMVPを選べと言われたならば、わたしはジョアン・モウチーニョを推薦したい。5試合を通じ、ピッチ上を縦横無尽に動き、相手のパスをカットし、味方にパスを出し続けた。スペインとの準決勝では、中盤の3選手に大きな負担がかかる中、モウチーニョだけが疲れることを知らず、120分間走り抜いた。ベント監督から厚い信頼を寄せられていた証しだろう。PK戦では最初のキッカーとして失敗し、流れをスペインに渡してしまった感もあるが、それまでの大活躍を台なしにしたとは思えない。フィジカルに難があるように見えるため、海外のビッグクラブは獲得に躊躇(ちゅうちょ)するのだろうが、最高レベルのリーグでも十分に戦える選手ではないか。

 そのほかでは、守備だけでなく、攻撃でも光るところを見せたペペ、左サイドをえぐり続け、相手守備陣を混乱させたファビオ・コエントラン。中盤の底に位置し、ポルトガルの守備に安定感を与えたミゲル・べローゾも良かった。そして、2010年ワールドカップの敗退で崩壊の危機にあった代表チームを立て直し、今大会でもチーム全体に一体感をもたらしたベント監督の手腕も特筆に値しよう。

 またしても優勝に手が届かなかったのは残念だが、経済財政危機下にある国民にポルトガル代表チームは夢と希望と誇りを与えてくれた。ユーロ2012で準決勝まで勝ち上がった代表は、ポルトガルサッカー史上に偉大な足跡を記すチームとしてこれから先も語り継がれるに違いない。

<了>

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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