セリエAを彩った去りゆく名手たち=伝統の系譜は受け継がれるのか

ロベルト・フルーゴリ

カンナバーロとのコンビはまさに壁だった

汚いプレーが少ない、エレガントな守備は他の追随を許さなかった。ネスタ(白)の後継者はイタリアにはまだ現れていない 【Getty Images】

 そして、きっと来季以降の将来に事あるごとに思い出されるはずの選手がもうひとり。前者2人と同じくミランから去るDFアレッサンドロ・ネスタのうまさもまた、やはり強烈に記憶に残るからこそ、この先も折に触れてサッカーを愛する者たちの心に呼び起こされるに違いない。

 個人的に最も印象に残るのは06年W杯・ドイツ大会前の合宿で何度も目の当たりにした場面。ドイツでの本大会は第3戦の途中にして故障するという残念な結果になってしまったわけだが、あの大会前、フィレンツェでの合宿中に見せていた強さとうまさはそれはもう半端ではなかった。ファビオ・カンナバーロと組むセンターバック2枚はまさに正真正銘の壁、“イル・ムーロ(ザ・ウォール)”。かつて見たフランコ・バレージ&アレッサンドロ・コスタクルタの強じんさをも超えていた。それこそ件の代表合宿における紅白戦でインザーギ、アレッサンドロ・デルピエロ、フランチェスコ・トッティからなるFW3枚と、MFアンドレア・ピルロを一度に敵とする機会が何度もあったわけだが、ネスタ&カンナバーロの2人が裏を取られたことは一度としてなかった。

 古典的とも言うべきマンマークの技と驚異的な身体能力を武器として激しく熱く守るカンナバーロが隣にいたせいなのだろうが、常に冷静沈着なネスタの洗練された守備の技が際立っていた。70年代のガエターノ・シレア、80年代のバレージ、そして90年代に現れたネスタ。「エレガントなDF」の系譜は、この彼をもってついえてしまうのだろうか。

絶滅の危機に瀕しているファンタジスタ

数多くの美しいゴールを決めてきたデルピエロ。彼のユベントス退団は一時代の終えんを示す 【Getty Images】

 脈々と受け継がれてきたイタリアサッカーの伝統は、確かに先の2010年W杯・南アフリカ大会での惨敗が示すように、その継続が極めて困難な状況に陥っている。前述の通り「ネスタの後継者」が見当たらないように、もうひとつのポジション、まさに強固な守備と並んでイタリアサッカーの代名詞とされてきた「ファンタジスタ」もまた絶滅の危機に瀕していると言うべきだろう。とすればやはり、この実に17年にもわたり名門ユベントスの10番を背負ってきたデルピエロの退団(おそらく来季以降は国外のクラブでプレー)は、やはり違うことなき一時代の終えん、その象徴とされるはずだ。

 多くの関係者(元監督、チームメイト、対戦相手ら)が一様に語るのは、あの1994年12月4日のゴール。マルチェッロ・リッピ就任1年目のユベントス。0−2からの逆転劇、宿敵フィオレンティーナとの激しい闘いに終止符を打つ3点目は、盟主ユベントスの新たなエースとしての地位を確立さるに値する美しさとうまさを、そして並の選手には決して成し得ない劇的さを兼ね備えたゴールだった。当時の彼はまだ20歳。その起用に誰もが懐疑的な目を向ける中で、しかも時のユベントスの10番があのロベルト・バッジョだったという状況下で、そして当然のことながら代役として出る者には計り知れないまでの重圧があった中で、若きデルピエロは件のゴールを決めてみせたのだ。余りの美しさにスタジアムが一瞬静まり返ることは珍しくないとしても、あのゴールの瞬間にデッレ・アルピ(当時のユベントス本拠地)を包んだ静寂はほかのどれよりも異様だった。

 その後の実績は周知の通り。イタリア国内と欧州、そして世界を制するキャリアの始まりとなった96年のトヨタカップ、あの国立競技場での決勝ゴールをいまだ忘れ得ぬファンは日本にもきっと数多くいるに違いない。98年11月8日のウディネーゼ戦で左ひざを粉々にし、代表では度重なる好機逸失によって激しい批判にさらされながらも、数々の記録を塗り替えながら重ねたキャリアの通算は719試合出場。ユベントスに限っての通算は705試合出場、290ゴール。無論、これは100年を超えるクラブ史上最多の数字だ。

 今季、負ければ高い確率でミランにスクデットを奪われたであろう試合、第32節の対ラツィオ、決勝ゴールを決めたのはほかならぬデルピエロだった。シーズンを通して控えの役を強いられる以外になかった状況下で、だが彼は一度として監督への不満を口にするようなことはしていない。盟主ユベントスの主将を長く務めた彼は、単にその技術だけでなく、一流のプロフェッショナルとは何かを後輩たちに示す上でも常に範たる存在だった。

 デルピエロが去り、一クラブだけにキャリアをささげる選手、いわゆる「旗手」と呼ばれるのはローマの主将、トッティだけとなった。

最も優秀な生徒はインザーギ

 こうして一時代を築いた選手たちは遂に去るべき時を迎え、もちろんそこには一抹の寂しさがあるわけだが、目まぐるしい変化を続けるこの世界では、そんな郷愁に浸るような時間は残念ながらない。すでに彼らが空けたポストをつかもうと多くの若手たちがしのぎを削り、このし烈な競争の渦中にある若手たちは間もなくして、去りゆく先輩たちのように超一流と呼ばれる選手へと変ぼうを遂げてくのだろう。それが歴史の法則。とはいえ、今日のイタリアサッカー界で新たなガットゥーゾ、ネスタ、インザーギ、デルピエロになるであろうと予感させるだけの才能は必ずしも多くないのが現実だ。

 そして“いつものように”国際大会直前の恒例よろしくイタリアのサッカー界はスキャンダルにまみれ、ユーロ(欧州選手権=イタリアの初戦「対スペイン」は6月10日)に向けたフィレンツェでの合宿は文字通りのカオスを極めている。そこには去りゆく者たちを惜しむ余地などは一切なく、むしろ早くもこの6月初旬にして彼らの存在は半ば忘れ去られたも同然の状況となっている、というのがまぎれもない実態だ。

 そんな中、このカオスの極地と化した代表合宿地(コベルチャーノ)で今、報道陣の誰一人として立ち入れない一角で、(そこにデルピエロだけはいないものの)ガットゥーゾとインザーギ、さらにはマルコ・マテラッツィとファビオ・グロッソとジャンルカ・ザンブロッタ、そしてカンナバーロとネスタがそろって同じ紺色のジャージに身を包み、監督養成講座のまじめな受講生として難しい戦術論や育成論に励んでいる。余談ながら、先の5月30日にその講師役を務めたアンドレア・ストラマッチョーニ(現インテル監督)によれば、「最も優秀な生徒はインザーギ」なのだそうだ。

 いずれにせよ、この06年W杯制覇組がピッチに戻ってくる日、すなわち監督としてベンチに座る日はそう遠くはないのだろう。とりあえずは下のカテゴリーの地方クラブからキャリアをスタートさせるとすれば、それがたとえばセリエB昇格を懸けたプレーオフとなるのか、あるいはセリエC1残留を懸けたプレーアウトになるのかは知る由もないのだが、試合の題目はどうであれ、「監督ガットゥーゾのサレルニターナvs.監督インザーギのフォッジア」などはたまらなく面白い戦いとなるに違いない。それこそ、監督インザーギ率いるチームがバリバリの“カテナッチョ”なんぞをやり、1−0で勝つも直後の会見でその余りに消極的な戦い方を批判されると顔を紅潮させ、「点を取られないことこそが重要なんだ」的なコメントで激しく反論してくれれば最高なのだが。

<了> 

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