大迫勇也が最終予選で味わった“生みの苦しみ”=マレーシアでエースFWが示した存在感
前進への大きなきっかけをつかめた
シリア戦はチャンスを作りながらもゴールを挙げることができず。悔しさの残る結果となった 【写真は共同】
直後に加入した鹿島アントラーズでも、09年3月のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)・上海申花戦でプロ初ゴールを記録。ルーキーながら、オズワルド・オリヴェイラ前監督にスタメン抜てきされる機会も何度かあった。1シーズン目から6得点(ACLを含む)をマークし、その後レギュラーをつかむなど、大迫は得点という明確な結果で自身のキャリアを切り開いてきた。当時日本代表を率いていた岡田武史監督が10年1月のイエメン戦(サナア)でA代表に招集したのも、たぐいまれな得点感覚を買ってのことだった。
それだけ非凡な才能を持つ男が、関塚ジャパンではなぜかゴールから遠ざかってしまっていた。FWにはよくあることだが、ほかの役割に気を取られがちになり、一番の怖さを失いかけていた。最終予選で“生みの苦しみ”を味わったことで、大迫はあらためてシンプルにゴールに向かうことの重要性を再認識したに違いない。「これまでの悪循環を断ち切りたい」と試合前日にも繰り返し強調していた通り、この一発によって前進への大きなきっかけをつかめたことだろう。
関塚監督が大迫にこだわる答えが明確に
「今日はサコ(大迫)が体を張ってボールをうまく保持してくれて、みんなが前向きでサポートに行けてやりやすかった」と東も話すように、この時間帯までは大迫が前線でボールを収めて確実にリズムを作っていた。関塚監督も交代させたくはなかっただろう。けれども、原口が3点目を奪った直後に出されたイエローカードを見て、即座に下げる決断をするしかなくなった。
大迫をベンチに下げた後の日本は攻撃のリズムを失った。扇原のミドルシュートのこぼれ球を齋藤が押し込んで4点目を挙げるまでは良かったが、そこからは攻撃陣の連動性が低下。1トップに入った永井は中央で起点を作れず、終盤に投入された杉本健勇も時間が少なすぎてフィットし切れなかった。気温29度・湿度75%という高温多湿の気象条件がボディーブローのように効いた部分もあったが、途中出場したキャプテンの山村和也も「前半に比べると決定的な場面があまり作れなかった」と反省の弁を口にするしかなかった。ただ逆に、この終盤の戦いぶりによって、大迫の重要性があらためて浮き彫りになったとも言える。関塚監督がなぜ大迫の1トップ起用にこだわり続けたのか……。その答えがマレーシア戦で明確にされたのではないだろうか。
最終戦は本大会へ向けたサバイバルのスタート
というのも、聖地・国立で行われるバーレーンとの一戦は、五輪切符獲得と同時に、本大会へ向けたサバイバルのスタートにもなるからだ。本大会では香川真司や指宿洋史らの欧州組を呼ぶ可能性もあり、また23歳以上のオーバーエージを3人加えることができる。ここまで築いてきた大迫の立場は絶対的とは言い切れない。最終戦で永井や杉本あたりがゴールを量産するようなことがあれば、大迫は再び苦境に立たされるかもしれない。大迫はどんな思いでゲームを見るのだろう……。
そんな大迫がロンドン行きを確実にするためには、鹿島に戻ってコツコツと地道に実績を積み重ねるしか道はない。日本サッカーの将来を担う点取り屋がこれを機に一皮むけ、“ゴール前で怖い選手”へとさらなる変貌を遂げることを祈りたい。
<了>