矢野貴章、フライブルクで過ごした不遇の時
前線からの守備と高さという武器が通じず
古巣の新潟で再起を図ることが決定。ドイツでの苦い経験を生かすことはできるか 【Getty Images】
シーズンが終わり、ドゥットはレバークーゼンへと移った。新監督にはクラブのアマチュアチームを指揮していたマルクス・ゾルクが就いた。フライブルクは夏の移籍市場で放出候補だったシセの代役として、ブルガリアリーグ得点王のマリ代表FWガラ・デンベレをクラブ史上最高額となる移籍金700万ユーロ(約7億1500万円)で獲得していた。
地元紙の報道によると新FWの加入を受けて8月の段階でスポーツディレクターのディルク・ドゥフナーは矢野の放出を画策していたが、矢野自身の希望によりフライブルクに残留することになった。シセの残留が明らかになったのはその後だが、矢野の立ち位置が限りなく危ういものであることは、その直後の9月頭に行われたテストマッチで分かった。この試合では代表戦でシセ、デンベレが不在、さらにはライジンガーも負傷という状況でありながら、スタメンで起用されたのは普段セカンドチームでプレーするアマチュア選手で、矢野はやっと65分から途中出場が許された。
“何も言わない=納得している”
しかし矢野はトップで練習をするだけで、ベンチ入りすることもアマチュアで試合に出ることもなかった。これはあまりにまれなケースと言える。矢野は「監督と話をしたのは夏に一度くらいでそれ以降は一度も……」と言っていたが、欧州では“何も言わない=納得している”ととらえられてしまう。ベンチ入りも果たせないとなると、どこか根本的なところで求めているものの相違があったのではないだろうか。それならば監督のところへ行き、「なぜ出られないのか」「何を求めているのか」「自分はチームに貢献できる」ということをアピールすることが必要だったと思う。
結果論ではあるが、早い段階で監督とコミュニケーションを取っていれば、8月の時点で出場機会があまり望めないことを知ることもできたかもしれない。監督の言うことを聞いて努力するのは日本では美徳とされるが、欧州では「出られないところで頑張っても」と首を傾げられてしまうだけだ。結果として、12月の半ばに矢野はクラブから戦力外通告を受けることになるが、新監督のクリスティアン・シュトライヒはこれを矢野以外の4選手には直接自分の口から説明をしたと話していた。アルビレックス新潟への移籍が決まった時もクラブホームページで発表されることはなかった。
矢野自身が「ドイツでの苦しい生活の中で得た経験を生かして頑張りたい」と口にしていたように、こちらでの生活で何を学び、それをどう生かしていくのか、が今後は大事なことになるのだろう。「失敗は成功の元」というが、それは成功を手にした時に初めて失敗が生きるということだ。彼にとっての成功とは何なのだろうか。再びピッチ上で躍動する彼の姿をビッグスワン(新潟のホームスタジアム)のファンが目にした時、その答えが何なのか分かるのかもしれない。
<了>