矢野貴章、フライブルクで過ごした不遇の時
スタメン奪取の機会を奪った不運なけが
加入当初は出場機会を得ていた矢野(中央)だったが、結果を残せず。次第にベンチ入りすらままならなくなっていった 【写真:アフロ】
そもそも矢野を評価し、獲得に動いたのは前監督のロビン・ドゥット(現レバークーゼン監督)だった。09−10シーズンでなんとか1部残留を果たしたフライブルクは、10ー11シーズンも開幕節のザンクト・パウリ戦を1−3で落とすなど悪い流れを断ち切れずにいた。第2節のニュルンベルク戦では、ラッキーなPKによる得点を守り切って辛くも初勝利を挙げたが、試合内容はとても褒められるものではなかった。ドゥットは前線で起点を作れ、守備もでき、さらにチームスタイルでもあるアグレッシブなパスサッカーにはまる選手を求めた。
そして矢野が来た。代表戦による中断期を挟み、矢野の加入後最初の試合となったシュツットガルト戦で、チームは戦力的に格上の相手に内容的にも納得のいく出来で逆転勝利を挙げた。矢野も途中出場から何度も好機を演出するなど期待に応えた。監督のドゥットも「矢野の加入で高さというオプションを手に入れることができた」と評価していた。ファンも彼の加入を喜び、活躍を期待していた。
序盤は順調だったと思われる。途中出場ながら試合に出場する機会はあったし、出た試合ではなかなかのインパクトを与えていた。しかし歯車が少しずつ狂い出した。その始まりは矢野が初スタメンを果たしたボルフスブルク戦だった。常々ドゥットは「2トップで行く時のスタメンはシセと矢野」と明言していた。そして、それを初めて試したのがこのボルフスブルク戦だった。矢野はシセとの2トップでスタメン出場。この試合で結果を出せば、スタメン定着も十分に考えられた……。
しかし、この試合の前半で矢野は不運なけがを負い、ハーフタイムでの交代を余儀なくされた。試合後、ボルフスブルクの長谷部誠が「前線に高さのある矢野がいるのは厄介だった。代わったのはうちにとって良かった」と話していたが、矢野にとっては悔やまれるけがとなった。
ライバルの活躍で出番は限られ
そして矢野の前には昨季ブンデスリーガ得点王ランキング2位のセネガル代表FWパピス・シセ(現ニューカッスル)がいた。入団1年目の09−10シーズンではぱっとしなかったシセだが、10−11シーズンに大爆発。ゴールだけでなく抜群のキープ力と前線から追い回す守備での貢献でチームに欠かすことのできないエースとなり、ドゥットは彼を中心としたチーム作りをしていった。
ならば第2FWとして、といきたいところだったが、こちらは途中出場からのゴールで昨季ブンデスリーガトップのシュテファン・ライジンガーがいた。得点が欲しい時の交代の一番手は基本的に“ジョーカー”ライジンガーだった。ライジンガーは技術的に秀でたものがある選手ではない。しかし、彼には何よりも気持ちがあった。ピッチに出れば走り回り、戦いまくり、ゴールを狙い続けた。いわば矢野というライバルの加入が2人を覚せいさせたとも言える。この2人が活躍し続けたことで、フライブルクは小さなクラブでありながら、FW陣のレギュラー争いは実はブンデスリーガきっての激戦区となっていたのだ。そして2人の活躍の影で矢野の出番は限られていった。
それでも、矢野にチャンスは再び訪れた。ウインターブレーク明け初戦のザンクト・パウリ戦で矢野は後半から出場し、高い打点のヘディングでシセのゴールをアシストするなど結果を出した。さらにこの試合で、そのシセが肉離れを起こし、次節に出場できなくなった。スタメン出場を果たす千載一遇のチャンスだったが、チーム内ではやっていたインフルエンザにやられ、棒に振ってしまうという不運に見舞われる。何とか試合当日にベンチ入りし途中出場するも、動きにはさすがにキレがなかった。