鹿島のルーキー柴崎岳、高いレベルに順応できる力=「情熱的で献身的なマイペース」の19歳

安藤隆人

クールに映るも、素顔はおしゃべりで熱血漢

U−22日本代表にも選出。チームの状況に自分のプレーをアジャストできる能力も強みだ 【写真は共同】

 なぜ、柴崎は高いレベルでもすぐに順応できるのか。それは卓越した技術だけが理由ではない。彼は一見クールに映るが、実はかなりの熱血漢である。メディアは柴崎を語る際、冷めている、動かない、口数が少ないと表現しがちだが、それは高校時代のマスコミ応対、プレースタイルの印象が強いからだろうか。

 しかし、実際の柴崎は非常におしゃべりだし、言葉をよく知っている。頭の回転が速く、思っていることを言葉にするのもうまい。何より、言われたことに対する反射神経もいい。青森から鹿島に移る時、「ずっといた青森を離れるのは寂しい?」と聞くと、「青森県に18年間住んでいますからね。雪がないところでサッカーができるということは最高なんじゃないですかね(笑)。地元を離れる寂しさはありますが、年に何度かは帰って来れますし、新青森駅もできましたからね(笑)。青森新幹線に乗ってみたいな。ファーストクラスとかありますからね」と18歳(当時)らしい無邪気な一面を見せた。かと思えば、「プロに入ってから対戦したい選手は?」と尋ねると、「ガンバ大阪の某選手の名前(=宇佐美)を口にすればいいですか(笑)」と返す余裕もある。

 サッカーに対する情熱、向上心も強烈だ。加えて、現在の自分の立ち位置を冷静に受け入れ、周りを見て判断できる力を備えている。最後の高校選手権を迎えるにあたって、彼はこう語っている。
「自分がこれから行く世界は、より自立しないといけない世界。親からの自立、監督からの自立、周りからの自立。こういう周りの人たちからサポートされながらサッカーができるのは、高校サッカーまでですよね。ここから先はそんな優しい世界ではないことは理解しています。だからこそ選手権は、今までサポートをしてくれた人たちに感謝の気持ちを表現する大会にしたい」
 これはそう簡単に口にできる言葉ではない。周りに対して素直に感謝し、行動に移す。そこにはオーバーなリアクションや派手なリップサービスはいらない。あくまで自分の表現方法で分かってもらえればいいという考えだ。

状況に応じて生かす側、生かされる側を選択

 プレー面でも常に練習から味方のスタイル、チームの状況を客観的にとらえ、それに対して自分のプレーをアジャストできるのも強みだ。

 U−22日本代表合宿時、「元からあったチームに入る難しさはあります。既存のチームに溶け込むには努力しないといけないし、チームのコンセプトを理解して、自分のプレーをアジャストさせないといけない。自分勝手なプレーはあってはならないことなので、まずチームの理解を深めて、自分のプレーを出していきたい。基本的には鹿島でやっていることがベース。鹿島でやっていることが評価されて、こうして呼ばれたわけですから、まずはその部分を出して、プラスアルファでこのチームのコンセプトに合わせたい」と語っていた。我を貫くのは、それがチームとして機能すると確信した時で、それ以外では周りの状況を見ながら、チームとして生きるプレーを選択できる。その証拠に、彼は生かすプレーだけでなく、生かされるプレーも好む。

「誰かのパスに操られたり、誰かのためにスペースを作ったりと、相手に使われるプレーも好きなんです。特にうまい選手には生かされたい気持ちが強い。別に自分が使う側に立たなくても、自分がより生かされるのであれば、それでいい」
 この言葉の裏には、自らが率先して献身的に動きたいという意思が見える。実際、青森山田では絶対的司令塔だったため、周囲を生かす側に立ったが、U−17日本代表では、宇佐美や小島秀仁(浦和)など実力者がいたため、生かされる側に回ることもあった。現在、鹿島では何度もフリーランニングを繰り返して生かされる側に、U−22日本代表では中盤の底で生かす側と、状況を見ながら自分のプレーを選択し、高いレベルでこなしている。

 精神的にも落ち着いて周りが見えている。だが、決して冷めているわけではなく、負けず嫌いで、向上心は絶やさない。
「あくまで僕は僕だし、人に流されるような性格ではないので、常にマイペースでいきたいですね。いきなりドンと活躍して、その後、トーンダウンしてしまう選手もいると思うので、そうならないようにしないと」
 こう話す柴崎を表現するならば、『情熱的で献身的なマイペース』とでも言おうか。これこそ、彼のスタンスである。今後、鹿島で、そしてU−22日本代表でどう進化していくのか。楽しみな19歳の行く末を、これからも追い続けたい。

<了>

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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