松井大輔、ディジョン移籍の顛末=待ちに待ったリーグ1へ

木村かや子

待ちに待った正式契約

晴れて、ディジョンと正式契約を結んだ松井。「それしか空いてなかったから」と冗談交じりに語った新しい背番号は28 【写真は共同】

 7月27日、松井大輔はついに契約書にサインし、正式にディジョンの選手となった。公式入団発表に至っては、8月3日にまで食い込んだ。ついに、と言ったのは、松井本人とクラブが合意に至ってからサインまでに、すでに20日以上が過ぎていたからである。何があっても淡々としているのが常の松井だが、待ち続けた末のサインの直後、「こんなにうれしいことは本当に久しぶり。監督がずっと、すごく僕を欲しがってくれていた。それに応えるのが僕の使命だと思うから、チームのために頑張りたい。新昇格チームということで、僕も新しいスタートを切れる」と言ったその声は、喜びに弾んでいた。

 このサインの遅れは、主として松井の元クラブであるグルノーブルの混乱を極めた状況によって強いられたものだった。グルノーブルはピッチ上の成績で2部から3部に落ちただけでなく、財政問題を理由に、リーグの財政監査機関DNCGから、さらに4部落ちを宣告された。2部から3部に落ちたばかりのクラブは、しばらくの間プロステータスを維持できる。まだ契約の残っている選手を放出する場合、1年間は移籍金をとることもできるし、契約選手を引き止めることも可能だが、完全なアマリーグである4部に落ちると、プロ選手を保持することはできない。ところが時を同じくし、グルノーブルが商業裁判所に破産申請をしたため、事はより複雑になった。

「ディジョンが松井の獲得に興味」といううわさが流れたのが6月初頭。しかし、この時点で、ディジョンはグルノーブルの状態がどうなるか様子を見てから話をまとめると公言していた。少し待てば違約金を払わずに選手を獲ることができるかもしれないのであれば、クラブがグルノーブルの成り行きを待とうと思うのは当然のことであり、ここで最初の遅れが出る。7月初頭、グルノーブルの4部落ちと破産申請のうわさが信ぴょう性を帯び始め、4日にまず経営困難を理由としたグルノーブルの4部降格が決定。翌5日、ディジョンが移籍に関して松井と合意に至った旨を発表したのは、偶然ではないだろう。

 この時点で仏紙『レキップ』は「公式決定」と勇み足の号外を流し、すぐさまウェブの移籍決定者リストに松井の名を載せたのだが、ディジョン側は「契約書へのサインはまだです」とはっきりと言っていた。サインの見通しについては、「うまくすれば(7月)6日、いや、いろいろ書類がそろわないといけないので8日かな」。今思えば、これは大きな読み違いだった。というのも6日、グルノーブルはうわさ通り破産申請をしたのだが、したからすぐに選手が解放されるというわけではなかったのである。

 破産が認められるとクラブは法廷管財人の手に渡り、選手も事務員も同じ雇用者として解雇通知を受けとることに。そして選手はそれを受け取ってはじめて、ほかのクラブと自由に契約することができる。しかし悲しいかな、お役所仕事には、かかるだけの時間がかかるのだ。ディジョンは松井の公式入団発表を13日とし、プレスリリースまで流しておきながら、土壇場になって延期した。おそらく「このくらいなら解雇通知が届いてるかな」という読みが外れたからだろう。これもまた、早く決めたいと願うがゆえの勇み足だった。

「ロシアに行ったおかげでフランスの良さを再認識した」

 そんなわけで、8月3日の公式入団記者会見では、良かれ悪しかれ、会長、監督、松井本人の言葉の端々に、遅れのもととなったグルノーブルへのイライラ感がにじみ出ていた。「ついに松井はディジョンの選手となった。こんなに遅れたのは、単にグルノーブルの法的ごたごたのせいだったんだ。いら立たしい日々を過ごしたが、ようやくサインにこぎつけ、今日こうして公式入団発表を行うことができて本当にうれしい。彼は違いを生み出すことのできる選手。彼からは多くを期待しているし、今から彼にプレッシャーをかけている」。こう言ったベルナール・ネッキ会長は、喜びを抑えきれないという様子だった。

 しかし松井本人にとっては、待ち時間は1カ月ではなかった。「長かった。もう1年間この時を待っていたから、決まって本当にうれしい。本当はワールドカップ(W杯)後に移籍したかったのに、昨夏のグルノーブルの幹部交代、それに続く方針の転換などがあったせいで、それができなかった」と松井は言っている。つまり彼にとっては、トム・トムスクにレンタルされた4カ月を含め、グルノーブルとリーグ2で過ごした1年間が、とてつもなく長い待ち時間だったのである。

「今考えれば、ロシアの時期にはプレーの質や環境などで本当にストレスがたまった。あれだけストレスを感じたことは、これまでなかったと思う。でも人間、我慢しなきゃいけない時というのはある。そう思って腐らず頑張ってきたし、そんな時期でもピッチに立った時は精いっぱいやってきた。それに、我慢の時期を乗り切ったことが、この後の人生でも役に立つと思うから。またロシアに行ったおかげで、やっぱりフランスはいいな、と再認識した」と松井は告白する。

健全な運営方針を持つディジョン

 松井が移籍で苦労するのは、このところ恒例になっている。サンテティエンヌではプレー機会をなかなか与えられず、グルノーブルでは2年連続の降格を経験した。活躍したW杯後の移籍は決まりそうで決まらず、昨冬、モンペリエ行きの可能性が上がった時には、その直前の代表戦で負傷したため、話はお流れに。サンテティエンヌ時代の冬に、リールからの誘いもあったと聞くと、選択を誤ったのではという思いもよぎりそうだが、松井はその考え方を否定した。

「自分の決めた選択は、それが何であれすべて正しいものだと思う。別の道を選んでいたらどうだったろう、と思うこともできるかもしれないけど、リールに行ってもどう転んでいたか分からない。それに、苦しんで、それを乗り越えることで人は成長する。無駄な経験なんてひとつもない。だから、ただ前を向いて進んでいくだけ」

 では、ディジョンという今回の選択はどうだろうか。昨季の1部昇格劇のけん引車は、23ゴールを挙げて得点王となったセバスチャン・リバスというアタッカーだった。しかし、もともとインテルの目にとまって欧州にやってきたこのウルグアイ人選手は、契約更新を拒んでこの夏イタリアのジェノアに移籍。つまり、リーグ1自体がクラブにとって初体験であるばかりか、チーム全得点の4割を決めたエースを失ったディジョンは、少なくともメディアの下馬評を見る限り、降格しまいともがくであろうチームの筆頭なのだ。

 実際、わたしも最初はそう思っていたのだが、監督の話を聞き、クラブの体制を知るうちに、松井はなかなかいいクラブに行ったのではという気持ちになった。第一に、ディジョンは少しずつ前進しながら、リーグ1に定着することを目標としている堅実かつ健全な運営方針を持つクラブ。また、彼らの昨季の躍進の鍵の1つには、故障者の少なさがある。
 何を隠そうディジョンには、ステファン・ルノーという、チェルシーで働いていることでも知られる自慢のメディカル・スタッフがいる。彼が専門とするファーシャセラピーは筋膜を刺激することで疲れを取り除き、炎症の防止や、治癒の促進、また体のバランスを整えるフィジオセラピーの一種。監督は「松井は今、肉体的に非常にいいコンディションだ。また、われわれのクラブは故障を起こしにくくするトレーニングメソッドを誇っている。それは彼にとってもプラスとなると思うんだ」と話す。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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