馬券アンソロジー あぁ…126万円買い直しの悲哀=乗峯栄一の「競馬巴投げ!第6回」

乗峯栄一

ほんと過去の馬券さえ見れば心が洗われるんだから

1996年ダービー、複勝コロガシ7戦目の買い間違い単勝と買い直し複勝、計126万! 【写真:乗峯栄一】

 IPATが普及して、現にWIN5はネット投票でしか買えないし、最近はクレジットカード購入というのも始まって、馬券はおろか現金の姿もめったに見ないというようなことになってきた。ネット投票、クレジット投票というのは“馬券をなくす”ということもないし、当たれば自動的に口座に振り込まれるから“払戻し忘れ”もない。マークシート記入や現金差し入れの煩瑣な手続きもないから、買い間違いも減る。

 ただ唯一の欠点は、過去の馬券そのものを眺めて自分の罪深さを悟る。「ああ、競馬とは人生勉強なんだ、いまになってつくづく分かった、ああ、何度も何度も人生勉強させてもらってありがとうよ」と感謝する心と疎遠になってしまうということだ。

 ほんと過去の馬券さえ見れば心が洗われるんだから。

“走る貴種流離”モノポライザーよ……

 もう10年近く前になるが、ダービーで東上し、いつものように武運つたなく惨敗して、翌日傷心のまま知り合いの小さな出版社を訪ねたことがある。せめて「次の本いつ出しましょうか?」てな前向きの言葉をもらい、かすかな希望を持って大阪に帰りたかったからだ。

「やあ、乗峯さん、ダービーどうでした?」などとその馴染みの出版社の人たちは笑顔で迎えてくれて、お茶まで出してくれる。「まあゆっくりしていって下さい」と愛想のいい言葉ももらう。でも「次回の出版の段取りですが」などという具体的な話は出てこない。その代わり「前回の本ですか?……そうですね、まあそんなに注文が殺到していることはないですね、でも、まあ何かの拍子ということもありますから、天災は忘れた頃にやってくるとも言いますからね、ははははは」などと訳の分からない言葉と共に乾いた愛想笑いを残して担当者が去る。
 オレの本は天災かい!などとイキがってみるが、でもまあ、出版社も苦しいところなんだろう、売れてるって話は大阪にいても聞かないもんな、などと微かにうなずきながら、一人、面談テーブルでタバコを取りだそうとポケットをまさぐる。
 するとタバコは出てこず、前日のダービーの馬券が束になって出てきた。「モノポライザー」などと書いてある。
 ああ、いくら何でもあそこまで負けんでもええやろと、前日の競馬を思い出す。

 エアグルーヴの弟にしてサンデーの子。生まれ落ちた直後に母ダイナカールは死に、エアグルーヴ最後の兄弟としてターフに出てきた。華麗な流星、スリムな体型“走る貴種流離、競馬界の光源氏”とことあるごとに一人力んで書いてきたのに、皐月賞に続いて見る影もなく大惨敗だ。あんなことなら出走抽選で落ちてればよかったんだ、などと小声で言ってみる。言ってみると、心なしか目が潤んできて馬券がはっきり見えなくなる。
「あれ、破れない、おかしい、馬券が破れない」と力弱く呟いていると、「ああ、一緒に破ってあげましょう」とさっきの編集者が戻ってきて馬券束の半分を持って「エイヤ!」などと気合いを入れる。さっきあれほど気弱な言葉しか吐かなかったのに、何だ、その元気は!

謎のオジサンがくれた“偽造馬券”に感心

謎のオジサンがくれた“偽造”とおぼしき馬券 【写真:乗峯栄一】

 ムッとしていると、編集室の向こうに座っていた初老のオジサンが急にツツツと寄ってきた。
「馬券破るのって辛いでしょう、分かります」とニコニコ話しかけてくる。「代わりに馬券をあげましょう」
 そう奇妙なことを言いながら、オジサンは自分の懐の札入れから馬券を差し出した。普通の馬券ではない。「昭和58年」と書かれた昔なつかしい白地に紫字の印刷馬券だ。
「何かの記念馬券ですか?」と尋ねると、「わたしが作った馬券です」と言う。
「はあ?」
 オジサンを見上げるが、オジサンは相変わらずニコニコとしたままだ。

 オジサンはその出版社から「馬券偽造師」という本を出している人だった。昭和40年代後半から馬券偽造に手を染め始め、10年に渡るJRA警備本部とのせめぎ合いの末、昭和58年逮捕、有価証券偽造の罪で4年間服役したが、いまは罪を悔い、立派に更正している(と本人は言っていた)。
 しかしその“作品”には感心した。万馬券の出た翌週、同じレース番号の同じ連番を買い、日付だけ削って改ざんするという手口らしいが、どこをどう眺めても偽造の痕跡は見えない(見破ったJRAの摘発技術も凄い)。
 旧式の印刷馬券といっても偽造防止のために三層構造となっているらしい。肉眼でも判別できる最下層の白スカシ以外に表面上からは見えないが中層スカシが入っていて、少しでも怪しい馬券だと特殊液を塗布してこの中層スカシが傷ついていないか検査されたらしい。オジサンはもともと腕のいい画工技師で、腕に覚えのその技術をフル稼働した“作品”だったが、それでも30倍ルーペを付けたまま、偽造馬券一枚作るのに三日かかったという。

「そのエネルギーをまとなもな方に使ったら」と言いたくなるが、捕まらないうちはまともな画工作品を作るよりは効率がよかったということだろう。

「楽よ、馬券で儲けるなんて。仕事より馬券の方が楽だから」

 ぼくはよくこのエネルギー効率ということを考える。
 家が欲しい、車が欲しい、女にモテたいと考える。そのためには「カネが要る」と考える。この段階では「家を偽造しよう」「車を偽造しよう」「女を偽造しよう」とは考えない。
 家を建てるのも家を偽造するのも大して差がない。女にモテるより女を偽造する方がよほど難しい。つまり効率が悪いと考えるからだ。だからこの段階での偽造はあまりない。「オレ、家偽造したんや」とか「オレ、女偽造したんや」とか言うやつは、「こつこつカネ貯めて家建てた」やつとか、「女心くすぐる心得があるからモテる」とか言うやつよりよっぽど価値が高いではないか。どうやったら家なんか偽造できるんや、どうやったら女なんか偽造できるんやということになる。

 しかし「カネを偽造しよう」と考える者は時々いる。少々カラーコピーやスカシ注入テクニックに費用がかかったとしても、仕事で儲けるよりは紙幣偽造で儲ける方が楽だろうと考えるからである。
 そしてオジサンの場合はカネを偽造するよりは馬券偽造して、その偽造馬券で本当のカネをもらい、それから家建てたり、女にモテたりする方が楽だろうと考えた訳である。

 つまりそうなのだ。結局のところ、競馬売り上げ回復の鍵は「仕事のカネ儲け」より「競馬のカネ儲け」の方が楽と思えるかどうかにかかっている。「楽よ、馬券で儲けるなんて」と言いながら、「楽に馬券で儲ける方法教えて欲しい? じゃ、カネ出さなきゃ」と言う人間はまだ最終段階に達してない。仕事にしようとしているからだ。仕事より馬券の方が楽なんじゃないのか?
 一番信用できるのは「楽よ、馬券で儲けるなんて。でも教えない。カネ貰って教えたら仕事になる。仕事より馬券の方が楽だから」という人である。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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