超人フッキ

 ジバニウド・ビエイラ・ジ・ソウザ、“ウルク”(日本ではフッキで登録されていた)の名で知られるFWは、ゴールとアシストのスペシャリストだ。現在、FCポルトでプレーし、世界でもトップクラスのFWと評価されている。日本でもプレーしたフッキは、ビッグクラブへの移籍とブラジル代表での活躍を望んでいる。

「なぜ、彼がブラジル代表に選ばれないのか理解できない。パワフルで速く、左足のシュートは弾丸のようだ。(不選出は)ばかげている」と、マンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソンもその実力を認めている。ただ、ばかげていても事実だ。ブラジルのマノ・メネーゼス監督はコパ・アメリカ(南米選手権)のメンバーにフッキを選ばなかった。

 FCポルトのアンドレ・ビラス・ボアス監督は、「何人がヨーロッパリーグで高得点を挙げられるか。ファン、スポンサー、監督のオーダーに対してどうかとは別に、そうした能力を持った選手は極めて少ないはずだ」と言う。ポルトガルリーグには触れなかったが、フッキは26試合で23得点している。ビラス・ボアスはメネーゼスの決定を批判していないが、そのかわりにシンプルな問いを投げ掛けているわけだ。

“ウルク”というニックネームは幼少のころにつけられた。6人兄弟で唯一の男の子だったフッキは、多くの時間をテレビを見て過ごしていたという。お気に入りは「超人ハルク」だった。母親のマリアによると、「番組が終わると、息子はわたしのところに来て、主人公のモノマネをしていました。『わたしはウルクだ』と言うので、『そうね、あなたはウルクね』と言っていたのが由来でしょう」と話している(※ハルクはポルトガル語ではウルクで、ポルトガル語圏ではそう呼ばれている)。

「僕はウルクになりたかったんです。人々を助け、片手で車を持ち上げる……。ただ、そういう職業がなかったんですけど」と、フッキは当時を振り返る。7歳でサッカーを始めているが、父親は家業を手伝うことを条件にしていた。フッキは毎日午前3時に起床し、電動ノコギリで巨大な肉の塊を切り分ける作業を手伝っていたという。6年間、フッキはその作業を続けた。好きではなかったので泣きが入ることもしばしばだったが、その肉体労働が強靱(きょうじん)な筋肉を作り上げた。
 FCポルトでは毎年体力テストを行っている。フッキは最も速く走り、パワーとスタミナでも最高値を出す。垂直ジャンプで1メートル50センチも跳ぶ。そのため、地元の大学のために生物力学の“モルモット”にされた。実験の結果、フッキはあらゆる面で理想的なアスリートの肉体を持っているとされた。ポルト大学のアウグスト・サントス教授によると、「瞬発力は図抜けていて、アメリカンフットボールの選手としても大成していたに違いない。いや、どんなスポーツでも一流になる資質に恵まれている」と結論づけている。

 フッキはスピードだけでなくスタミナも抜群で、瞬発力と持久力を兼ね備えているのはかなり意外な結果だったという。科学者たちの驚きと困惑をよそに、フッキの母親は息子の強さは授乳のせいだと信じている。3歳半までフッキは母親のおっぱいを飲んでいた。「秘密はわたしのブラジャーの中にあるのよ」と誇らしげだ。

 まさに超人的なフィジカル能力にもかかわらず、フッキは一流選手になるまでに長い道のりを経なければならなかった。最初は順調だった。ジョゼ・アントニオ・コスタ(マノ)のアカデミーに入るには150レアル(約7600円)の謝礼が必要だったが、マノは父親の友人だったので半額にしてもらっていた。だが、すぐに無料になった。
 フッキの能力が図抜けていることに気づいたアカデミーは、ほかの少年たちから160レアル(約8000円)徴収するかわりにフッキの分をタダにしたのだ。マノはフッキに特別な練習もさせた。4人のDFにフッキ+1人の状況で練習をした。しかし、こうした努力にもかかわらず、コリンチャンスのアラゴアナ・アカデミーに入ることができなかった。このアカデミーはデコやペペを生み出した非常に有名なアカデミーである。

 そこで、フッキのエージェントであるゼ・ド・エジートは、直接ポルトガルへフッキを送ってしまうというアイデアを実行する。ビラ・ノベンセという小さなクラブに入ったフッキは、会長から気に入られた。だが、クラブはフッキの両親を呼び寄せることができず、結局はブラジルへ戻ることに。サンパウロのユースチームでプレーし、U−17のトップスコアラーになった。
 プロデビューはビトーリアで18歳の時。しかし、ピッチ上よりもビーチとナイトクラブで過ごす時間のほうが長かったという。得点もわずかで、監督はサイドバックへのコンバートを命じた。この時点で、ブラジルのクラブでフッキに興味を持つところはなくなった。ヨーロッパもそうで、それが日本へ行った理由である。

 川崎フロンターレと契約し、コンサドーレ札幌に貸し出された。東京ヴェルディでスターになり、パリ・サンジェルマンとFCポルトが注目。金額の高いFCポルトの方へ移籍した。いま、フッキを獲得しようとすれば1億ユーロ(約116億円)が必要だ。人々は新しいロナウド、マリオ・ジャルデウ(FCポルトで大活躍したブラジル人FW)の再来を予感している。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント