逆転劇の陰で露呈した問題点=U−22日本 3−1 U−22オーストラリア
“1対1”はドリブル突破だけではない
チームとしてのプレスの連動性とともに、個人のプレーインテンシティーは重要な要素 【写真:ロイター/アフロ】
そもそもプレッシャーとは、相手がプレッシャーと感じて初めてプレッシャーとなる。前半の日本の選手たちは何となくボール近くに寄り、何となくボールホルダーを見ているけれど、厳しく当たりにいかない。いっても足先でいくので簡単にかわされるというお粗末な守備に終始した。
見方によってはオーストラリアのボール回しに翻弄され、当たりたくても当たりにいけなかったように映る。だが、わたしは日本国内でのプレッシャーの強さや激しさ――つまり“プレーインテンシティー”(プレー強度)が、国際試合と比較するとかなり低いことが根本的な問題だと分析している。よって、日本の選手が当たりにいけなかったというよりは、当たりにいく習慣がないということだ。
球際や当たりの激しさを武器に、相手がプレッシャーと感じるプレッシャーをかけることも技術の1つなのだが、特に日本の育成年代ではそうした技術認識が不足しているように思う。例えば欧州の育成現場では、球際の強さを持つ選手、ボール奪取できる選手というのは、パスセンスのある選手と同じくらい高く評価される。日本で“1対1”というと、どうしてもドリブル突破をイメージされがちで、前向きにドリブルで仕掛けて相手を抜くことだけが1対1における勝利のように思われている。だが、フィジカルコンタクトで勝つこと、競り合いに勝つことも立派な1対1での勝利だ。マイボールでないところでの技術、ボールを奪う能力が日本では軽視されているように感じる。
プレーインテンシティーの重要性
プレスの連動性を高めて組織でボールを奪うことは比較的簡単だが、組織の前に個人レベルでやるべきこと、身につける技術がある。プレッシャーの激しさ、強さを含めたプレーインテンシティーがなければ何も始まらないし、五輪に出場できたとしても、将来のA代表に到達しても通用しないだろう。
これまでアジアにおいては、日本人選手の技術の高さは1つの既成概念として成立していた。しかし、関塚監督がオーストラリアの選手の高い技術を評価し、「オーストラリアの後ろから(つないで)しっかり崩していくようなことをしたいと思う」という発言を聞く限り、アジアにおける技術大国の地位も危なくなってきたという印象を抱く。今回対戦したオーストラリアの選手と比較すると、日本の選手はプレッシャーを受けた状況で技術やパスがブレてしまい、ボールのない状況では相手にプレッシャーを与えられていなかった。
U−22代表も結局は、A代表につなげるための育成年代である。このチームはA代表で通用する選手を育てるため、将来A代表で勝つために存在し、ロンドン五輪出場を目指している。だからこそ、勝った、負けたの結果のみならず、たった1試合ではあっても、そこから浮かび上がってきた日本サッカーや育成面での問題点、逆に他国に比べて秀でた部分を取り上げていきたい、とわたしは考えている。この世代、このタイミングで気付くのでは遅すぎる感もあるが、国際基準の技術、プレッシャーとは何かをあらためて考える意味では、オーストラリア戦は非常に有意義な国際親善試合だったのではないか。
<了>