広山望、海を渡ってつかんだ現役続行のチャンス=5カ国目の挑戦、米国独立リーグへ

元川悦子

USLのリッチモンド・キッカーズ入団

広山は海外に新天地を求め、米国独立リーグで現役を続ける(写真は日本でのトライアウト参加時のもの) 【写真は共同】

 3月11日に東日本大震災が発生し、Jリーグが1カ月半中断。日本代表のコパ・アメリカ(南米選手権)出場辞退の可能性が浮上するなど、日本サッカー界は何かと騒がしい。そんな中、1人のベテランが異国へと旅立った。彼の名は広山望。トルシエジャパン時代の2001年には日本代表にも選ばれた快速MFだ。

 広山はたぐいまれな国際経験を持つ選手として知られている。パラグアイのセロ・ポルテーニョを皮切りに、ブラジルのスポルチ・レシフェ、ポルトガルのスポルティング・ブラガ、フランスのモンペリエと4カ国でプレー。セロ・ポルテーニョ時代にはコパ・リベルタドーレス出場経験もある。その後、帰国して東京ヴェルディ、ザスパ草津でプレーしていたが、昨シーズン限りで契約打ち切りを余儀なくされた。
 彼はまず、トライアウトを受け、JFA(日本サッカー協会)のB級指導者養成講習会を受講しながら国内外の移籍先を探していたが、3月に米国独立リーグのユナイテッドサッカーリーグ(USL)に所属するリッチモンド・キッカーズ入りが決定した。

「アメリカに行くならメジャーリーグサッカー(MLS)に挑戦したいと最初は考えていました。日米サッカーの架け橋になるべく努力されていて、過去には平野孝(現解説者)さんや山田卓也(タンパベイ)さんの移籍を手助けした中村武彦さん(LeadOff Sports Marketing/ゼネラルマネジャー)にお会いして相談し、自分で作成したビデオや資料を送りました。でも33歳という年齢が大きな壁になった。そこで独立リーグに頭を切り替え、トライアウトに参加することにしたんです。そんな時、中村さんが『リッチモンドなら練習に参加できる』という話を持ってきてくれた。本当に幸運でした」(広山)

 トライアウトだとレベル差のある何百人もの選手が一堂に会してプレーするので、1人1人の能力を探る時間が限られる。元日本代表といえども簡単に注目してもらえない。しかし、限られた選手がチームに混ざって紅白戦を行う形式なら能力をじっくり見てもらえる。2月23〜25日、広山は14〜15人の招待選手(うち日本人4人)とともに練習に参加。3日間で鮮烈なパフォーマンスを披露し、2012年シーズン末までの2年契約を一発で手に入れた。

今後の活躍次第では上の舞台にも

 広山は頭抜けたスピードと高い技術という目に見える武器を持っている。それが米国では非常に重要だと前述の中村氏は説明する。
「日本サッカーは欧州・南米からいいところを吸収して発展してきたので、戦術を重視するし、チームの共通理解が高いですよね。例えば、左サイドがボールを持った時、ボランチは必ずサポートに行き、右サイドバックも状況を見ながら攻撃参加する。そういうのは日本サッカー界の常識だし、連動した動きができなければ『いい選手』とは言われません。
 でもアメリカは異端で、欧州・南米という主流から一線を画している。戦術的にもズレがあるし、周りを生かせる気の利いた選手より、明確な一発芸を持つ選手を好む傾向が強いんです。実際、日本から来た選手でも平野孝さんや吉武剛(オースティン・アズテックス)君のような個性のハッキリしたタイプは高く評価されました。広山君もゴールに直結できる速さを持つスーパーな選手。それがリッチモンド側の心をとらえたんだと思います。33歳という年齢は一切関係なかったですね」

 米国サッカー界はMLSを頂点とし、その下にUSLとノースアメリカンサッカーリーグ(NASL)という2つの独立リーグがある。MLSと独立リーグは入れ替え戦などがなく、独自の運営を行っている。レベル的に見ると、USLとNASLはほぼ同じだが、MLSと両リーグはJ1とJ2よりも若干の実力差があるという。独立リーグのシーズンは4〜9月。選手の契約期間も半年間だけなので、支払われる平均年俸もJ2並みかそれより低いのが実情のようだ。

 それでもリッチモンドは天然芝4面、人工芝2面を持つなど施設的に充実。子供の育成を事業の柱に据えており、経営基盤もしっかりしている。リーグ発足初期に選手の年俸に巨額の投資を行ったJリーグとは違い、米国サッカー界はまずインフラ投資など経営第一。赤字体質など絶対に認められないという。そういう環境下でもリッチモンドは特に堅実な運営を行っていると中村氏も強調する。

 育成に力を入れている点も指導者ライセンスを取得したばかりの広山には大きな魅力だった。過去には元カナダ代表MFドウェイン・デ・ロサリオ(現ニューヨーク・レッドブルズ)のように、MLSに引き抜かれるタレントも複数出ているといい、今後の活躍次第では上の舞台に上り詰めることも夢ではないのだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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