小笠原なくして鹿島の悲願はなし得ない=王座奪回、アジア制覇を狙うベテランの決意

元川悦子

唯一最大の不安材料はマルキーニョスが抜けた穴

鹿島の課題はマルキーニョスの穴をどう埋めるか。小笠原ももっとゴールに絡みたい 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】

 柴崎ら若い世代が大量に加入したことも、今年32歳になるベテランに、少なからず刺激を与えている。
「グラウンドでは若い古いとか年齢は関係ない。彼らも新人っていう意識じゃなくて、力になってもらわないといけないし。もちろん、おれらも頑張らなきゃいけない。全員がチームの一員ですからね」と柴崎ら若手にプロの自覚を促すことも忘れない。
 時には若手が小笠原らの若いころの話を聞いてくることもあるというが、「話より実際に感じることの方が多いから」と小笠原は言う。より多くのことを自分の背中からくみ取ってほしいという希望があるのだろう。

 さかのぼること13年前の1998年春。小笠原、本山雅志、中田浩二、曽ヶ端準ら79年生まれの選手6人が鹿島に入団した。タレントぞろいの“黄金世代”にあって、小笠原は4月のガンバ大阪戦で早々とJリーグデビューを飾っている。ビスマルク、増田忠俊ら経験豊富なMF陣の間に徐々に割って入り、3年目には完全にレギュラーをつかんでいた。今年の高卒新人の中でも非常に高い評価を受ける柴崎らが本物なら、小笠原や本田拓ら年長者がズラリと並んでいても、自ら堂々とチャンスをもぎ取っていくはずだ。それだけの力強い追い上げを小笠原は期待している。

 陣容的には確実に昨季を上回った鹿島だが、1つだけ大きな不安材料がある。昨年限りで退団し、ベガルタ仙台に新天地を求めたエースFWマルキーニョスの穴をどう埋めるか。それはチームの成否を占う重要なテーマである。
 07年のオリヴェイラ監督就任とともに鹿島へ移籍してきたマルキーニョスは、過去4シーズンでリーグ戦59得点をマークした。毎年10点以上をコンスタントに挙げ、08年には21ゴールで得点王にも輝いている。肝心な場面では、必ずと言っていいほど彼が点を取り、窮地を救ってきた。

 ゼロックス杯の対戦相手、名古屋のDF増川隆洋も「マルキーニョスは常にゴールを狙っていたし、シュートを打つ数も多かった。彼がいたときに比べると鹿島には怖さが感じられなかった」とズバリ指摘した。オリヴェイラ監督も「昨年から続いていることだが、決定的な得点ができていない。昨年の12引き分けというのもそれが響いている」と珍しく弱音を吐いている。マルキーニョスが去ったことでその傾向がより強まる恐れもある。フィニッシュの問題は今のチームに重くのしかかっているのだ。

小笠原自身ももっとゴールに絡んでいい

「周りからはマルキに依存していたって見えるかもしれないけど、マルキ1人でサッカーをしていたわけじゃない。ウチは誰が中心とかいうチーム作りをしていないし、みんなで攻めてみんなで守っていけば、十分カバーできると思うよ」と小笠原は周囲の不安を一蹴した。キャプテンが言うような理想像に近づくためには、興梠慎三、大迫勇也のさらなる成長、新助っ人・カルロンの日本への適応、山形から戻った田代有三の大ブレークが欠かせない。

 興梠はすでにプロ7年目。長友佑都(インテル)、本田圭佑(CSKA)、岡崎慎司(シュツットガルト)ら同期の面々は日本代表の中核に成長している。もはや若手とは言えない年齢だけに、確固たる存在感を示す必要がある。プロ3年目の大迫もそろそろレギュラーに定着すべき時期に来ている。そして田代も昨季、山形で挙げた10得点は維持したいところ。彼ら3人がコンスタントに結果を出せば、カルロンが日本サッカーに適応する時間を稼げるのではないだろうか。

「ゼロックスでも惜しいチャンスはいっぱいあった。全部入っていたら10点以上入っていたわけだからね(苦笑)。ゴールを決めるのは永遠の課題。チャンスを作れていなかったら問題だけど、いいところまではいっているし、とにかくあとは決めること。それをしっかりやれれば解決できると思います」
 こう話す小笠原自身ももっとゴールに絡んでいい。「ボランチはがっつりボールを取って攻めの起点になる仕事。まず守備から入らないといけないから」と、彼はしばしば言うが、ボランチに移った07年以降、J1で毎年3〜5得点しか取っていないのはどうも物足りない。今季はボランチの組み合わせも変わるだけに、状況に応じてもっとゴールに向かう回数を増やすべきだろう。

 30代になって体力が低下したり、アグレッシブさを失う選手は少なくない。だが、同期の遠藤保仁のように、いまだ日本代表の絶対的中心に君臨する選手もいる。小笠原も無尽蔵な運動量とタフなメンタリティーをまだまだ示せるはず。その圧倒的な存在感なくして、鹿島の王座奪回、悲願のアジア制覇はあり得ない。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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