カルロス・テベスが過ごす奇妙な日々

代表復帰への道のりは険しい

アルゼンチン代表のユニホームを着たテベスを再び見ることはできるのか 【写真:アフロ】

 異なる戦術、異なるスタイルへの適応を強いられた南米人が、母国アルゼンチン特有のプレーを毎週末見せていたころの選手に戻ることは果たして可能なのか? われわれだって同様に、自身の仕事において昔の自分に近づくことは可能なのか? これらの問いかけは、われわれを最もつらい疑問へと導いていく。もしテベスが過去の自分、つまりボカ時代の彼に戻れなかった場合、アルゼンチン代表との関係はどうなってしまうのか?

 その道のりは険しいだろう。バティスタはリオネル・メッシをセンターFWとし、2人のウインガーと3人のテクニックに優れたMFを起用する、バルセロナと同様のシステムを志向しているが、それはテベスにとって簡単なシステムではないからだ。

 選手として最も充実した年齢にあり、アルゼンチンで最も愛され、あらゆるアンケートで最も高い支持を得ているにもかかわらず、彼はこのまま代表への扉を閉ざされてしまうのだろうか?

代理人はコリンチャンス復帰を示唆

 マンCにおける状況も不透明だ。常に良好というわけではないテベスとロベルト・マンチーニ監督の関係は、チームが好結果を出し、本人もゴールを決め続けているからこそ、これまで目立つことはなかった。

 テベスとマンチーニが微妙な関係にある原因はテベスの代理人、何かと話題に上がるイラン人のキア・ジョオラビシアンにあると主張する者がいる。この代理人はマンCの前監督であるマーク・ヒューズと関係が深く、そのことが時にロッカールームに緊迫した状況を作り出しているというのだ。

 それだけに、テベスが口を開くたびにアルゼンチンへの郷愁、そしてマンCとの契約が切れた後はボカに戻りたいと話すのは決して気まぐれではないのだ。またジョオラビシアンは最近、ブラジル紙『ガゼッタ・エスポルティーバ』に対し、「カルリートスが近い将来に再びコリンチャンスでプレーするだろう」と話している。

 ピッチにおける充実した現状と、その外で投げかけられる多くの疑問。テベスが過ごす日々を奇妙と表現した理由はそこにある。

<了>

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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