静かなる正守護神争い、西川周作の挑戦
アジアカップで幕を開けた新たなバトル
西川はサウジ戦で失点ゼロに抑えて勝利に貢献。川島との新たな正GK争いに注目が集まる 【Getty Images】
完全なアウエー状態が予想される大一番を迎えるにあたって、GKを誰にするのか。それは1つの大きなポイントだ。
ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会からの守護神・川島永嗣に戻すのか、それともシリア戦の後半途中から出てきてチームを落ち着けた西川周作を起用し続けるのか……。これはアルベルト・ザッケローニ監督にとっても悩みどころだろう。実績と経験なら川島だろうが、今大会の流れを重んじるなら西川も捨て難い。
「勝負の世界なのでスタメンにはこだわってやっていきたい。先発を取るポイント? 安定感ですかね。途中から出たとしてもみんなに安心感を与えられるようなGKが理想だと思っているから。僕はもっとそこに近づくようにやっていかないといけないですね」
サウジアラビア戦の翌日、いつものように明るく話した西川だが、胸中には燃えるものが感じられた。日本代表GKのポジションは1つしかない。この10年余り、川口能活と楢崎正剛がし烈な競争を繰り返してきたように、西川も川島と戦い続けなければならない。2014年W杯・ブラジル大会までの競争はどうなるのか。権田修一を交え、このアジアカップで新たなバトルが幕を開けた。
なかなか超えられなかったハードル
06年夏にオシムジャパンが発足すると、いち早く招集され、サウジアラビア・イエメン遠征にも帯同した。同じ大分U−18の後輩である梅崎司(現浦和レッズ)が一足先に初キャップを飾ったことから、西川への期待もひときわ高まった。
しかし、代表守護神への道は険しかった。オシム時代は川口が絶対的な存在として君臨。楢崎は当初メンバーから外れていたが、山岸範宏が急成長を見せ、西川の前に立ちはだかった。07年になると、4学年上の川島も一気に頭角を現す。さらにはベテラン楢崎も復帰。ポジション争いは一段と激化した。西川は08年に北京五輪本大会に出場するも、A代表定着というハードルをなかなか超えることができなかった。
初招集から紆余(うよ)曲折の3年が経過。09年秋には楢崎、川島に続く第3GKの地位をやっとつかむ。悲願の国際Aマッチデビューとなったのは、09年10月のアジアカップ最終予選、ホームでの香港戦。日本は岡崎慎司のハットトリックなどで6−0と圧勝し、西川には仕事らしい仕事はほとんどなかった。「あんまりボールを触る機会がなくて逆にドキドキした」と本人も苦笑いしたほどだ。それでも、重要な一歩には変わりない。「北京(五輪)が終わって目指すべきところはA代表だと思っていた。満足することなく常に上を目指したい」と前向きに語っていた。このまま2010年前半も代表に呼ばれ続けたことから、南ア行きは確実と見られた。