滝川第二・栫裕保監督会見「中学生に勝てなかった経験が生きている」
どの大会でも全員が出られるように
滝川第二は浜口(左)と樋口(右)の活躍で久御山を破り、初優勝した 【写真は共同】
良い子ばかりなんですけども、プレースタイルがちょっとわがまま。人が言っても聞かないとか。それは多分、人の痛みが分からなかったり、常識や高校生としてのモラルなどが積み重ねられて、それがサッカーのスタイルに出てくると思います。高校生なので1年生で入った時からどんどん成長していきますけど、そういうところをちゃんとやっていなかったら、サッカーも多分良いプレーはできないと思います。技術はもちろん指導しますけど、それ以外のところを重点的にやっていきたいとは思っています。
――選手が表彰を受けている間に1人でバックスタンドへ向かったのは?
多分、わたしは向こうに行けないだろうと思って、応援団にあいさつというか報告をさせていただきました。
――大会を通じて登録メンバー25人のほとんどをピッチに立たせたのは?
一番は、全員を出したいという昔からの思いを持っています。わたしは、どの大会でも全員が出られるように、1人でも1分でもいいからピッチに立たせたいという思いがありますので、別に大量リードしたからとかではなくて、わたしのやり方はそんな感じです。
――樋口寛規君、浜口孝太君の2トップは、負傷を抱えながら頑張ったと思うが、彼らについて
点に絡んだので、勝利の一番の原因は2トップかなとは思っています。ただ、ボランチやサイドバックの運動量が多かった。トップの2人が目立ちますが、うちの心臓部は後ろやと思います。そこの頑張りがなかったら、2人の得点はないんじゃないかなと思います。
「滝二は終わりやぞ」というのが耳に入って闘志がわいた
うーん、多少あるかもしれないと思います。中体連とクラブ上がりでは、あんまり差はないけど、多少クラブ上がりの子の方がわがままというか、自分勝手なプレーが多少あるかもしれません。ただ、個人や性格によっても違うのかもしれません。
――前任の黒田和生監督(現ヴィッセル神戸の育成部長兼ユース監督)が高円宮杯を制した翌年にコーチから昇格したわけだが、どんなカラーでやっていこうと思ったのか?
黒田とは長年一緒にやってきました。わたしがいわゆるBチームや1年生を見て、黒田がAチームという形にしていた。黒田のカラーとかわたしのカラーというのではなく、滝二のカラーやと思います。(監督が)移ったから何が変わったのかと言うと、何も変わっていないと思います。
――監督という立場に代わってみて思うところもあったのでは?
周りから(黒田監督がいなくなって)「滝二は終わりやぞ」というのが耳に入ってくるのは、プレッシャーというのかな、そんなことないぞという闘志はわきました。
<了>
取材:平野貴也