パト「ポルト・アレグレの『インテル』を応援する」=4年前のスターがクラブW杯を振り返る

試合が終わった時は狂ったように喜んだのを覚えている

イニエスタ(右)をドリブルで振り切るパト 【Getty Images】

――君はアル・アハリ戦でトリッキーなプレーをして、スタジアムを熱狂させた

 そうだね。ラッキーなことに、うまくいったんだ。あのプレーは自然に出てきたものなんだ。サッカーというのは、そういうものだと思うしね。ちょうど僕の右側にボールが来て肩の上に乗ったから、そのまま右肩でリフティングをしながらボールを数メートル運んだんだ。そうしたらお客さんが喜んでくれた。もしあれが特別な試合でなければ、お客さんが拍手するのを観察していたと思うよ。すごく楽しい瞬間だったな。

――では、バルセロナはどうだっただろう? 彼らは自信過剰だったと思うかい?

 それは分からないけれど、バルセロナは僕の友達であるロナウジーニョを軸とした偉大なチームだった。すごく特別な戦いだったよ。僕らが今、ジャンルカ・ザンブロッタも含めて、ミランでチームメートであることが信じられないね。もちろん、ロナウジーニョはブラジルのグレミオでプレーしていたから、僕らの永遠のライバルだったんだけど。

 バルセロナはクラブW杯の準決勝で、メキシコのクラブアメリカ相手に4−0と圧勝した。だから、人々の目は僕らではなく、まだ世界チャンピオンになってもいないのに彼らに向いてしまった。それがかなりの負担になったんじゃないかな。
 運の良いことに、決勝でバルセロナは試合を完全に支配していたにもかかわらず、得点できないまま時間だけが過ぎていった。すると試合終盤にアドリアーノがビクトル・バルデスの守るゴールをこじ開けたんだ。それからはひたすら自陣に引いて守った。試合が終わった時は信じられなくて、狂ったように喜んだのを覚えているよ。

 インテルナシオナルがクラブ世界一になったのは初めてだった。しかも、相手はあのバルセロナだからね。さらに僕は11月の半ばまではトップチームでプレーしたことさえなかった。それからほとんど時間が経ってないのに、僕は世界チャンピオンになったんだ。

――インテルナシオナルの強さの秘密は何だったんだろう?

 経験豊富な選手がたくさんいて、コパ・リベルタドーレスでの戦いを通してチームがまとまっていったことかな。選手ではベテランGKのクレメールや、ボカ・ジュニアーズ時代の2003年にミランを下しすでに世界チャンピオンになった経験を持つコロンビア人のファビアン・バルガスの存在が大きかったね。勝ち方を知っている選手がいるのは自信を持ってプレーする助けになるんだ。

インテルと同様、インテルナシオナルは本命

――話は変わるけど、君は若くして成功をつかんだ。でも、幼いころは苦しんだよね。この苦しみは君を大人に成長させる力にもなったんだろうか?

 たぶんね。僕が10歳のころ、腫瘍(しゅよう)が見つかって手術をしたんだ。僕も母もたくさん泣いてね。でもその苦しみが、僕に強さと自信を与えてくれたんだよ。

――あこがれのプレーヤーはいるかい?

 間違いなくロナウド(現コリンチャンス)だね。素晴らしい選手だよ。ほかの子どもたちと遊んでいた時、ボールを持つといつも“ロナウド”って叫びながらプレーしていたな。彼と知り合いになって、時を共有するようになって人生が変わったんだ。
 それは、ロナウジーニョも同じだ。さっきも言ったように、彼はインテルナシオナルのライバルであるグレミオ出身だけど、今はミランで共にプレーしている。夢みたいだよ。

――今、君の古巣であるインテルナシオナルは再びクラブW杯に出場する。相手はイタリアのインテルだ。勝てるチャンスはあると思うかい?

 もちろん! インテルナシオナルは僕らがクラブW杯を戦った時とは違って、国際舞台での経験も豊富なビッグクラブになった。いい選手がたくさんいるし、タイトルを勝ち取った経験もあるアルゼンチン人も加わった。イタリアのインテルと同様、インテルナシオナルは本命じゃないかな。それに、インテルは確かに強いけれど、ジョゼ・モリーニョからラファエル・ベニテスに監督が代わり、昨シーズンのような力はない。まだチームを構築している段階だと思うよ。

――ブラジル人としてシンパシーを覚えるってことかな?

 何言ってるの! インテルナシオナルは僕の古巣で、キャリアを始めたクラブだよ。そこで若くして世界チャンピオンになり、欧州への移籍も実現したんだ。インテルは、僕が今プレーするミランのライバルだ。ポルト・アレグレの「インテル」を応援するに決まっているじゃないか。

<了>

(協力:FIFAクラブワールドカップ事務局)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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