インテルナシオナル、南米王者への厳しい道のり=2度目のコパ・リベルタドーレス制覇

薄氷の勝利、監督交代

ダレッサンドロ(左)はインテルナシオナルで復活し、アルゼンチン代表にも復帰した 【写真:アフロ】

 インテルナシオナルにとって、南米チャンピオンへの道のりは簡単ではなかった。アルゼンチンの強豪2チームを越えなければならなかったからだ。バンフィエルドとのラウンド16では敵地での第1戦を1−3で落としたが、第2戦の2−0の勝利で辛うじて勝ち進んだ。
 準々決勝の相手は、前回覇者のエストゥディアンテスだった。ホームでの第1戦を1−0で制したものの、第2戦は前半30分で0−2のビハインドを背負う。勝ち抜きを決めたのは、88分のジウリアーノのゴールだった。

 また、同国対決となったサンパウロとの準決勝でも、ホームで1−0と先勝した後、アウエーでは1−2で敗北。勝負を分けたのは、敵地でのゴールだった。チーバスとの決勝も決して簡単ではなかった。結果としては連勝だったが、2試合とも前半は0−1で負けていた。第1戦は70分を過ぎて2ゴールを決め、2−1の逆転勝利。第2戦も後半の3得点で3−2と競り勝った。

 結局、インテルナシオナルは8勝3分け3敗でコパ・リベルタドーレスを終えた。得点は20、失点12。大会中には監督の交代もあった。リガ・デ・キトを率いてコパ・スダメリカーナを制したウルグアイ人監督のホルヘ・フォサッティを5月に解任し、後任にはブラジル人のセルソ・ロッチが就任。コパ・リベルタドーレス優勝は、数々の試練を乗り越えて手にした勲章だった。

狭まるクラブ間格差

 インテルナシオナルの優勝はまた、南米大陸のクラブ間の格差が狭まっているという事実を示している。長い間――特に60年代〜70年代にかけてと21世紀初頭はアルゼンチンが圧倒的な強さを誇り、90年代はブラジル勢が強かった。だが04年以降は、ブラジルが3回、アルゼンチンが2回、コロンビアとエクアドルのクラブが1回優勝。群雄割拠の様相を呈している。その一方で、ウルグアイのチームは88年にナシオナルが南米王者になって以来、22年間もタイトルから遠ざかっている。

 トロフィーの数を国別で見ると、これまでのところアルゼンチンが22回で飛び抜けているが、今大会では4強にすら1チームも残ることができなかった(ブラジルが2、メキシコとチリが1)。続いてブラジルが14回、ウルグアイが8回。少し離れてパラグアイが3回、コロンビアが2回、チリとエクアドルが1回という状況だ。

 また、51度目の開催となる今大会で、チーバスが主役に躍り出たことは興味深い側面である。メキシコのクラブは本来、CONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)所属だが、98年から数クラブが招待チームとしてコパ・リベルタドーレスに参加している。さらに、近年はコパ・アメリカ(南米選手権)でもメキシコ代表は力を見せつけている。彼らはアルゼンチンで開催される11年のコパ・アメリカでも興味深い存在となるだろう。ちなみに、この大会には日本代表も参加予定だ。

<了>

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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