マラドーナはブラジルでも指揮を執るのか=AFAの奇妙な監督続投要請

南アフリカで何が起こったか

マラドーナの契約延長はあるのか? 【Getty Images】

 AFA(アルゼンチンサッカー協会)は14日、アルゼンチン代表監督のディエゴ・マラドーナに、新たな4年契約を提示すると発表した。つまり、2014年にブラジルで行われるワールドカップ(W杯)まで代表を託すということだ。アルゼンチンは南アフリカ大会の準々決勝でドイツに0−4と大敗し、後味の悪い形でW杯の舞台から去った。にもかかわらず、その指揮官に契約延長のオファーをするとは、奇妙だとしか言いようがない。

 2008年11月にアルゼンチン代表の監督に就任して以来、マラドーナの仕事ぶりに対しては数多くの批判があった。また、南アフリカで何が起こったかについては、いまだに見えない部分が存在する。チームのリーダーになるべく招集されたはずのベテラン、ファン・セバスティアン・ベロンが、グループリーグ2試合で先発しただけで、あまり起用されなかったこと。86年W杯でアルゼンチンを優勝に導き、現在は代表のゼネラル・マネジャーを務めるカルロス・ビラルドが、南アフリカで表舞台に出なかったことなどはその一例だ。
 ビラルドの沈黙はW杯が開幕する前から始まっており、すでに南米予選の時からマラドーナとコミュニケーションを取るのは至難の業だった。マラドーナはチーム作りの多くをテクニカルスタッフに依存しており、特にアシスタントコーチであるアレハンドロ・マンクーソ(彼はベロンと激しい口論を交わしたと言われる)、フィジカルトレーナーのフェルナンド・シニョリーニを頼っていた。マンクーソはイデオロギー的に、ビラルドの天敵といわれる78年の優勝監督セサル・ルイス・メノッティに近しい人物と位置づけられている。

 アルゼンチンの専門紙は、代表チームの試合に向けたプランニングに問題があったとして、激しく批判している。大会期間中、アルゼンチン代表の事務局長ルイス・セグラ(大会後、辞意を表明している)や、AFA会長のフリオ・グロンドーナをはじめとする多くの首脳陣たちが当地を訪れ、代表チームを視察した。それなのにマラドーナの手腕に疑問符をつけず、大会後にすぐさま4年間の契約延長のオファーを提示する意向を示すなど、理解に苦しむとしか言いようがない。こうなると、スポーツの問題と言うより、何か政治的な思惑が働いていると思わずにはいられない。

政府と国営メディアのバックアップ

 マラドーナはドイツ戦後の会見で辞任を示唆するコメントを残したが、自宅のあるエセイサ(ブエノスアイレス郊外にある国際空港から数キロにある)に戻ってからは沈黙を貫いている。一方、FIFA(国際サッカー連盟)の副会長も務めるグロンドーナはW杯決勝まで南アフリカに滞在しており、先ごろ帰国した。マラドーナは帰国後、エセイサ市長のアレハンドロ・グラナドスの息子である若きガストンに呼ばれた。

 ガストン・グラナドスはアルゼンチン前大統領のネストル・キルチネル(現大統領のクリスティーナ・キルチネルの夫)とマラドーナとの間のパイプ役となっている(キルチネル夫妻は2003年より政府を掌握しているが、クリスティーナの任期は11年で終わる。そして、次の大統領選挙には、恐らくネストルが再び立候補すると見られている)。この女性元首は5日、サポーターに向けて「頑張れマラドーナ」と呼び掛け、指揮官の続投支持を表明した。

 昨年、アルゼンチン政府は大手メディアグループのクラリンとケーブルテレビ局TyC社が共同で独占していた国内プロサッカーリーグの放映権をAFAに破棄させ、新たに公共放送のカナル7が年間6億アルゼンチンペソ(約147億円/当時)の放映権料で契約した。
 多くのクラブが負債を抱え、2009−10年前期リーグの開幕がずれ込む事態にまで発展したとはいえ、この突然の契約破棄と国の介入について賛否両論があったのは事実だ。だが、クリスティーナは「フットボール・グラティス」(サッカーはタダ)という方針を打ち出し、これまではケーブルテレビやPPV(ペイ・パー・ビュー)でしか見られなかった国内リーグの試合が、誰でも無償で見られるようになった(とはいえ、全国をカバーしていないのが現状だが)。結果として、グロンドーナとマラドーナは政府と国営メディアから絶対的なバックアップを受けることとなったのだ……。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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