ベスト8への執着=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月29日@プレトリア)

宇都宮徹壱

岡田監督、3つのさい配ミス

PK戦では3人目の駒野(左)が失敗。試合後、涙に暮れる駒野を松井が慰めた 【Photo:アフロ】

 それでも日本は、そんなパラグアイに対して十分に勝利するチャンスはあったと思う。もしもラウンド16での対戦相手が、ドイツやブラジルやスペインであったなら、日本は大量失点で敗れていた可能性が高かっただろう。あくまで結果論ではあるが、今大会の日本は、おそらく20年に一度のベスト8進出のチャンスを得ていたのではないか。それが結果としてかなわなかったのは、以下の3つの理由が考えられる。

(1)交代のタイミングの遅さ
(2)攻撃のオプションの少なさ
(3)PKキッカーの選出

 もちろん、いずれの理由もあくまで結果論である。これらの理由をもって、おそらくこれが代表監督としてのラストマッチとなるであろう岡田監督をくさすつもりは毛頭ない。その点を確認した上で、以下、具体的に述べることにしたい。

 まず(1)について。それまでこう着していた日本の攻撃に、一気に弾みがついたのが後半36分の中村憲剛の投入であった。それ以前に、システムを4−1−4−1から4−2−3−1にしていた日本が、前線での攻撃の活性化の手段として、トップ下の位置に中村憲を据えたことで、見違えるように前線にダイナミズムが生まれる。とはいえ、この決断をもっと早い段階でできなかったのだろうか。もちろん、延長戦を視野に入れながらの判断であったことは、十分に理解できるのだが。

 次に(2)について。そもそもこのチームは、本来FWではない本田圭佑を1トップに置いている時点で、攻撃のオプションが著しく欠如していることを露呈していた。後半以降では、岡崎慎司と玉田圭司が前線に投入されたが、この状況で彼らに値千金のゴールを求めるのは、極めて厳しかったと言わざるを得ない。一方で日本には、森本貴幸という攻撃の切り札がいたはずなのだが、なぜか今大会では一度も起用されることはなかった。森本のポテンシャルを考えるならば、これは実にもったいない話である。セリエAでそれなりの結果を残している、この稀有なタレントが生かされなかった一番の理由については、おそらくは「FW陣の序列」と「1トップへのこだわり」という、岡田監督の強い嗜好(しこう)によるものであったと考えるのが自然であろう。

 そして(3)。唯一PKを外してしまった駒野友一を、岡田監督がしっかり抱きしめている姿を見て、ほかならぬ指揮官が、今回のキッカーを決めていたのだろうと私は確信した。その前提に従うなら、駒野を3番手のキッカーに指名したのは、やはり判断ミスだったと思う。もちろん、彼のキックの精度に定評があることは認めるとしても、試合中に何度も上下運動したことで彼自身が疲弊していたことはもっと考慮されるべきであった。むしろ気力も体力も十分に余裕があり、PKにも抵抗がなさそうな中村憲を起用していれば、まったく違った結果になっていたのではないか。

あらためて「ベスト8進出の厳しさ」について

スタジアムのスクリーンでは、試合前にスタメン選手と監督が映像で紹介される。日本はこの日が見納め 【宇都宮徹壱】

 ところで、このゲームの勝者であるパラグアイの母国では、PK戦での決着が付いた直後に、大通りに人々が押し寄せてお祭り騒ぎになり、一時的に各地で交通インフラがマヒ状態になったという。こうした喜びの爆発のさせ方は、いかにも南米的であると同時に、日本との一戦がいかに彼らにとって厳しいものであったのかを、如実に暗示しているように思えてならない。そして何より、パラグアイにとって「初のベスト8進出」という事実が、国民をこれだけ熱狂させたことは間違いないだろう。

 意外と知られていないことだがパラグアイは、1930年の第1回大会の数少ない出場国である。W杯出場は今回が8回目だが、南米3番手の地位を確立させ、連続して本大会に出場できるようになったのは、ここ4大会のことである。だが、4大会中3大会は、なぜか決勝トーナメントでのゴールに恵まれず、ベスト16が精いっぱいという状況が続いていた。そんな彼らだからこそ、今回のベスト8進出については、まさに国民レベルで喜びを爆発させたのである。いみじくも岡田監督は、この試合の敗因について、自身の「執着心が足りなかった」と答えている。少なくとも「ベスト8への執着」という点では、パラグアイは日本の比ではなかったと言えよう。

 今大会における日本代表の総括については、また日を改めて言及するつもりである。が、現時点で言えることは、日本が02年大会以来となるW杯での4試合を国外で経験し、しかも延長戦とPK戦という未体験ゾーンを体験したことは、今後の日本サッカーの発展を考える上で極めて重要であると考える。それと同時に忘れてならないのが、この日わが国は「たかがサッカー」のために、少なからずの国民がブルーを身につけ、そして何となく昼食や夕食にカツ丼やカツサンドを口にしたという事実である。これほどまでに国民が一丸となったことが、近年の日本でどれだけあっただろうか。今大会の日本代表の歩みは、競技レベルでは小さな前進でしかなかったかもしれないが、実のところ、サッカーの枠を超えた大きなムーブメントを巻き起こしたことについては、もっと評価されてよいように思う。日本代表の一行は、間もなく帰国の途に就くことになるが、彼ら自身が日本のあまりの変わりように、きっと口をあんぐり開けて驚くことだろう。その光景を想像するだけでも「終戦」の悔しさを忘れて、何とも楽しい気分になるではないか。

<この項、了>

2/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント