「おめでとう」――オランダから愛を込めて=中田徹の「南アフリカ通信」

中田徹

よみがえる記憶

オランダはカメルーンに勝利した首位通過を決めた。ロッベン(左)も復帰 【ロイター】

 24日のカメルーン対オランダ戦を観戦するため、ケープタウンに前日入りした。夜の7時半ごろ、ワールドカップ(W杯)のテレビ観戦と食事を兼ねることができる手ごろなレストランを探すため、ウオーターフロント地区を訪れてみた。
 ケープタウンは開幕戦コラムでも書いた通り、かなり自由に歩ける街だ。特に、ウオーターフロント地区と呼ばれる、神奈川県の本牧と油壺を足したようなリゾート地域は夜遅くまで観光客でにぎわっている。この日はガーナ対ドイツ、オーストラリア対セルビアが行われ、パブリックビューイングの施設も、スポーツバーも長蛇の列ができていた。
 そこで、ちょっと空き気味のシーフードレストランへ入ってみたが、空席はしっかり8時半のキックオフに合わせ“団体さん”の予約が入っていた。それでも一人身の気軽さゆえ、簡単に席が見つかった。

 僕が入った店のお客さんは“食事”が主で、“サッカー観戦”はついでといった感じだった。そのせいか、店のすぐ外でブブゼラを吹き続いてはしゃぐ米国ユニホームのサポーターには、思いっきり冷たい視線を浴びせていた。
 試合が終わったのが夜10時半近く。それからデザートを食べ、紅茶を飲んで店を出ると、静かな熱気がウオーターフロントを包んでいた。イタリアンの店のテラスを見ると、オランダの人気サッカーコメンテーターがリラックスしながら食後のコーヒーを楽しんでいた。

「ド・ドンドン、チャカチャカチャン」とサンバのリズムが聞こえてきた。カメラのフラッシュをたく者、サンバの列に加わる者。ブラジルのサポーターはいつでもどこでも人気者だ。小さな広場ではドイツサポーターが国旗を広げて決勝トーナメント進出を静かに、しかし間違いなく誇らしげに喜んでいた。いつもわが物顔でスタジアム内外を席巻するオランダサポーターが、なぜかこの夜は控えめだった。

 ウオーターフロントを訪れた一般の観光客も、十分にW杯の雰囲気を楽しんだはずだ。前日、開催国の南アフリカはグループリーグで敗退したけれど、ケープタウンのこの立ち去りがたい雰囲気の中に身を置いてみると、盛り上がりを心配することはなさそうだと感じた。
 その一方で、ケープタウンは南アフリカの中でも特別なのではないかという疑問も芽生えてきた。先日、仲間たちとプレトリアの町中を車で走ってみた。しかし試合当日だと言うのに、サポーターの姿も外国からW杯を観戦に来た外国人の姿もなく、ただ南アフリカの人だけが広場で踊り歌っているだけだった。ルステンブルクの町中も、W杯独特の異文化交流のダイナミズムを感じることはなかった。ただ、スタジアムの周辺だけは対戦国同士のサポーターが盛り上がっていた。

 ヨハネスブルクのエリスパークやサッカーシティの周辺はどうなのだろう。この辺りは危険地域なので、試してみる度胸はない。と、書いていたら面白い記憶がよみがえってきた。
 サッカーシティのすぐ東にはソウェトと呼ばれるタウンシップが広がっているが、少なくともサッカーシティはタウンシップの中にあるわけではない。しかし1986年W杯・メキシコ大会はネサワルコヨトルというスラム街のど真ん中でグループリーグが行われたのだ。僕が観戦したのはデンマーク対ウルグアイ。エルケーア・ラルセン、ラウドルップら、そうそうたるアタッカー陣が爆発した伝説の試合である。

 しかし、スタジアムはガラガラだった。ところが、試合が終わってスタジアムを出ると、ものすごい数の住民が僕たち外国人を取り囲み始めた。一瞬ぎょっとしたが、どうやらネサワルコヨトルの住民はチケットを買うお金がないので、せめて外国人観光客からサインをもらおうと待っていたらしい。こうしてわれわれは選手以上にヒーローに祭り上げられ、彼らの着る薄汚れた白いTシャツにサインをしまくったのだ。そのときスッと少女が「わたしたちを忘れないでね」と言って手渡してきたメキシコ代表のミニチュアユニホームは今も実家に置いてある。

 それにしてもFIFA(国際サッカー連盟)はよくスラム街でのW杯開催を許したものだ。古き良き時代である。まあ、だから何だと言えば少しさびしいのだ。ネサワルコヨトルの経験は少し強烈すぎたが、W杯は各国からのサポーターと地元住民のエネルギーがぶつかり合う場だ。しかし南アフリカは治安が悪すぎ、ケープタウンやヨハネスブルクのサントンのような限られた場所でしかはしゃげない。その差は4年前のドイツ大会と比べても一目瞭然だろう。

オランダ人に愛される日本人選手

本田の活躍はオランダ国民も喜んでいるに違いない 【ロイター】

 翌日に行われたカメルーン対オランダは、オランダが2−1で勝ってグループリーグ1位抜けを決めた。負傷明けのロッベンも復帰し、早速いい仕事をした。その同時刻、日本はデンマークを3−1で破り、見事ベスト16入りを達成した。本田の無回転FK、遠藤のカーブをかけてのFKと、日本に素晴らしいゴールが2つも生まれた。
 会場の海抜が高いせいか、今大会はなかなかFKによるゴールが決まらないが、それはメキシコ大会も同じだった。プラティニ、ジーコ、マラドーナといったFKの名手たちですら決めることができなかったのである。もしかすると木村和司だったらメキシコの高地でも直接FKを決めたかもしれないが、われわれは予選で韓国に敗れていた。
 先日、「スペインがいち早く、高地と大会使用球に慣れたのでは」というコラムを書いたが、FKに関しては日本が一歩進んだかもしれない。

 試合後、オランダ人の記者が「おめでとう」と言ってきた。「日本の強さはエクストラな価値を持ったプレーヤー、本田がいることだ」と彼は言った。「本田はすごい。でも僕は同じサッカーをするものとして小野伸二が大好きなんだ。あの両足のテクニックは僕もあこがれる。(かつての同僚の)ファン・ホーイドンクに聞いてみろ。今でも彼は『最高にうまい選手はシンジだった』と言うぜ」と続けた。
 オランダのファン・マルワイク監督も日本戦前、「わたしにとって“第2の小野伸二”はいない。プレーヤーとしてだけでなく、人間としても素晴らしい。今大会、彼の顔を見ることができないのは残念」とやはり小野のことをコメントした。
 もちろん、オランダにおける本田人気はすごい。地元紙もいまだ「われわれの本田」という表現を使っている。フェンローに住む知り合いは、「圭佑の顔をずっと見ていないからさびしい」と言って、スイスのシオンまで車を飛ばし、(強化試合の)コートジボワール戦を観戦した。

 デンマーク戦で1ゴール1アシストをした本田はすごい。その試合の直後、一流記者に「僕は小野の方が好きだ」と言わせた小野もすごい。オランダでは多くの日本人選手が彼らの胸の中に生きている。平山相太のおっかけウェブサイトを作っていたペーターは、今やヘラクレスの公式ウェブ記者に出世した。テルスターの関係者も負けていない。「今でこそオランダで日本人がプレーするのが当たり前の時代だが、その先鞭をつけたのはおれたちだ」と望月達也の名前を挙げる。

 多くの日本人がオランダリーグを通り過ぎ、オランダ人にとっても日本サッカーがなじんだのか、今大会では好意的な声も、厳しい批判の声も聞いた。ともかく彼らは日本のサッカーの活躍を注目してくれている。
 オランダでテレビ観戦を決め込んだ記者のゴードンからメールが来た。
「お前らの国は成功したな。日本はすごく印象的なプレーをした。特に本田がアシストした3点目はすごかった。お前はもうあまり働きすぎるな」
 ゴードンの忠告はありがたいが、2時間しか寝ていない。それでも、おかげさまで、まだまだ元気だ。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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