小笠原、石川、小野の現在=W杯メンバー23名からの落選を受けて

元川悦子

戸惑いつつも、残された可能性を信じて調整を続ける小笠原 【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】

 21日からワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に向けた最終調整が始まる。そんなかたわらで、サッカー人生の集大成と位置づけた大舞台に手が届かなかった選手もいる。2009年JリーグMVPの小笠原満男(鹿島アントラーズ)、昨年秋の大ケガを乗り越えて復活したスピードスター・石川直宏(FC東京)、今季復帰したJリーグで異彩を放つベテラン・小野伸二(清水エスパルス)の3人がその代表格だろう。

 小笠原と石川はかろうじて、本大会予備登録メンバー30人に入った。けれども、小笠原の所属する鹿島は今週から3週間のオフ。チーム練習がなく、心身ともに調整が難しい。石川の所属するFC東京はナビスコカップがあるため、6月9日まではトレーニングの場が確保される。が、代表候補選手はFIFA(国際サッカー連盟)が定める休養期間は公式戦に出られないため、22日のアルビレックス新潟戦は欠場を強いられる。2人とも完全に頭を切り替えることができず、何となく中途半端な立場に置かれている。
 一方の小野は予備登録に入れず、南アフリカへの道は完全に閉ざされたかに見える。だが、6月1日から日本対カメルーン戦前日の13日までは、ケガ人が出れば予備登録関係なしに選手の入れ替えが可能なため、彼にもかすかにチャンスはあるのだ。そのことを頭の片隅に置いているかどうかは分からないが、「代表うんぬんは関係なく目の前にある試合に集中する」と本人は気持ちを切り替えつつある。
 失意の落選から数日、3人の状況をあらためて追った。

小笠原は戸惑いつつも「1%でも希望があるのなら努力する」

「予備登録メンバーに入ったことが分かった時? 正直、『予備登録って何者なの?』と思った。ただ名前があるだけで、『ケガ人が出た時に入れ替わる可能性があるからしっかり準備しておいてくれ』という指示もない。クラブを通して協会に問い合わせてもらっているんだけど……。どうしたらいいんだろうってのが本音です」

 落選から数日後、小笠原に話を聞くため、鹿島まで足を運んだが、本人は自分の立場に戸惑っている様子だった。
 10日に岡田武史監督が自ら発表した日本代表23人のリストからは漏れた。「W杯みたいなタフな試合を身近で見ること自体、めったにできるもんじゃない。23人に入れれば一番いいけど、自分で金を払ってチケットを買ってでも行きたいくらいだから」と言うほど、3大会連続の本大会行きを熱望していた男だけに、悔しさはひとしおだっただろう。加えて、わずか2日後に、今季最大の目標であるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のベスト8進出を逃した。2年連続ラウンド16敗退は、Jリーグ3連覇中の常勝軍団の主将で昨季MVPの彼にとって、絶対に許せない結果だったに違いない。

 苦い出来事が続いたが、本人は「確かに悔しいは悔しい。でも人生いいことばかりじゃないからね」といち早く気持ちを切り替えて次へ向かおうとしていた。
 とはいえ、小笠原は02年日韓大会、06年ドイツ大会の両W杯の経験者。ドイツを前にして田中誠(アビスパ福岡)が負傷離脱し、茂庭照幸(セレッソ大阪)が突如、休暇中のハワイから招集されたことを間近で見ている。世界の大舞台で勝つためには、万全な準備が必要なこともよく理解している。自分が力を尽くせるなら何でもやりたいという気持ちは今も強くある。
「正直、選ばれた人間で頑張ってほしいって思いはある。だけど、願いたくはないけどケガ人が出ることもあり得る。前回の茂庭も、2週間離れていただけでそんなに(コンディションが)落ちていたとは思わないけど、ずっと一緒に合宿からやってきた選手とは違ったかもしれない。万が一の事態に備えて準備しなきゃいけないってのも分かる。だから『チームが休みでも、お前は1人で調整しておいてくれ』とか最初にきちんと伝えるべきだと思うんだよね」

 今回、日本サッカー協会は若手4人によるサポートメンバーの帯同を決めた。これも彼らの立場をややこしくしている。日本と欧州、南アとの距離や時差、高地という環境を考えると、負傷者が出た場合にはサポートメンバーと入れ替えた方が合理的なのは誰にも分かる。小笠原自身も不安を募らせている。
「もし自分たちが準備していても、帯同しているサポートメンバーから引き抜かれるんだったら意味がない。自分が入る可能性がないんだったら、今後のためにも1回しっかり休むべきだしね。なんかあいまいですよね……」

 その後、日本協会からは「心肺機能を落とさないように」との通達があったようだ。登録メンバー入りの可能性もゼロではない。今週に入ってから、小笠原はまだ鹿島のクラブハウスに姿を現していないというが、生真面目な男だけに気を抜くことなく自主的に調整するつもりだろう。
「1%でも希望があるのなら努力する」
 それが小笠原の現在の心情かもしれない。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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