ベンフィカの復権とフッキの失われた3カ月=市之瀬敦の「ポルトガルサッカーの光と影」
「犠牲者」はポルトか、フッキか、それとも?
3カ月もの間、国内の試合に出場できなかったフッキ。リーグ連盟の不手際の犠牲者ともいえる 【Getty Images】
08−09シーズン、東京ヴェルディからFCポルトに電撃移籍を遂げ、あっという間にスターダムにのし上がったフッキだが、最近はその活躍ぶりをほとんど聞かなくなったと感じている方も少なくないのではないか。確かに、チャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦でアーセナルと対戦した試合では彼のプレーを見ることができたが、国内リーグ戦でのゴールを伝えるニュースに触れることはめっきりなくなってしまった。
それもそのはず、昨年12月20日に行われたベンフィカとの“クラシコ”(伝統の一戦)の試合後、スチュワードに暴行を働いたとして、次の試合からは暫定的に出場停止、そして2月末にポルトガルサッカーリーグ連盟規律委員会から4カ月間の出場停止処分を正式に言い渡されていたのである。
ところが、ここにきてポルト側の提訴を受け、規律委員会よりも上位の決定機関であるリーグ連盟司法委員会が3月25日に新たな処分を発表した。その結果、4カ月の出場停止が、3試合(!)の出場停止となったのである。
処分を不服とした選手やクラブに提訴する権利を保障するために、規律委員会の上位に司法委員会が設置されているのだが、両者の見解がこれほどまでに極端に異なってしまっては、ポルトガルサッカーリーグ連盟の信頼性が損なわれかねない。
新しい処分を知り、エルミニオ・ロレイロ連盟会長はすでに辞表を提出したが、会長の辞任だけで終わる問題ではあるまい。最初の正式な処分を下すまでに2カ月間もかかったプロセスを短縮化すること。スチュワードはゲームに直接関与する者ではなく「観客」だからというのが今回の処分軽減の理由なのだが、あまりにちぐはぐな判断基準を是正、そして統一すること。リーグ連盟だけでなく、ポルトガルサッカー界全体で対策を練らなければならない大きな課題が残されたのではないか。
今年1月から3月末まで、フッキが出場できなかったポルトの国内公式戦は17試合。リーグ戦9試合、ポルトガルカップ3試合、そしてリーグカップ5試合である。その間ポルトは10勝5分け2敗であった。リーグ戦に限って言えば、フッキが出場した12試合より、出場しなかった11試合の方がポルトの勝ち点が多いという統計もある(23点対24点)。しかし、だからといって、フッキがいなくて良かったなどとはもちろん言えない。フッキがいれば、もっと勝てていたかもしれないのだ。
仮定の話は別にして、明らかに言えることは、フッキはすでにポルトにとり重要かつ不可欠な選手だということである。
フッキにとっては、練習だけをこなし、試合の日にはスタンドからの観戦という日々が続いた約3カ月間は本当につらかっただろう。しかも、出場停止処分を受ける前はブラジル代表に呼ばれ、もしかしたら南アフリカに行く可能性だってあったのだ。しかし、その望みもほぼ断たれてしまい、彼の爆発力をもってしても、「失われた3カ月」を取り戻すのは容易ではない。ルース・スタジアムの選手通路で起こったフッキの暴行事件は「ルース(光)のトンネル事件」と俗に言われるが、フッキが1日も早くトンネルの先に光を見いだしてくれることを祈るのみである(なお、復帰戦となった28日のベレネンセス戦で110日ぶりのゴールを決め、さらに2アシストを果たしたのはうれしい限りである)。
今回の騒動を振り返る時、やはり虚しさが残る。勝ち点の計算だけなら、もしかしたらポルトは犠牲者ではなかったのかもしれないが、フッキがもしプレーしていたら0−3でベンフィカに敗れたリーグカップ決勝の行方はどうなっていたのだろうか。国内の試合に出られなかったフッキが失ったものはあまりに大きい。リーグに対し賠償金を請求したくなるのも当然であろう。
だが最も傷ついたのは、月並みな言い方だがポルトガルサッカーへの信頼なのかもしれない。なぜなら、09−10シーズンはリーグ連盟の不明瞭な判断がタイトルの行方を大きく左右した1年として語り継がれてしまう可能性が高いからである。その意味では、素晴らしいシーズンを送っているベンフィカやスポルティング・ブラガも、たとえ優勝を遂げたとしても、犠牲者となりそうである。
つまり、誰も何も得ることがない3カ月間だったのだ。
<了>