移籍市場から見た2010年以後のJリーグ(後編)=(株)ジェブエンターテイメント代表 田邊伸明氏に聞く

宇都宮徹壱

代理人の仕事をする上での信念を話す田邊氏 【宇都宮徹壱】

 移籍ルールの変更が、2010年以降のJリーグにどのような変化をもたらすことになるのか、株式会社ジェブエンターテイメント代表の田邊伸明氏に語っていただく、その後編をお届けする。
 エージェント、あるいは代理人という職業について、世の中の多くの人は「怪しい」「あこぎ」といったネガティブなイメージを持たれやすいようだ(もちろん実際はそんなことはないのだが)。田邊氏自身、その点はよく自覚していて「サッカーの移籍の話って、日本の商習慣に感覚としてまったく合っていないと思う」と語っている。だからこそ、こうした取材に対してはできるだけオープンに、話せることは何でも話すというスタンスを保つようにしているのだそうだ。今回のテーマは、選手の海外移籍はどう変わっていくのか、そしてエージェント業務から今の日本サッカー界はどう見えるのか。ひとつひとつの質問に対する田邊氏の言葉は、いつにも増してストレートで、なおかつ刺激に満ちたものであった(取材日:2月16日 インタビュアー:宇都宮徹壱)

新ルールで海外移籍は増えるのか?

――ここからは、主にFIFA(国際サッカー連盟)ルール導入による海外移籍の変化についてお聞きしたいと思います。どうなんでしょう、移籍ルールが変わったことによって、海外移籍はしやすくなるんでしょうか?

 国際移籍については元々FIFAルールだったわけですから、ルール上の変化はありません。では「行きやすくなったか」と聞かれればそれはまた別の問題なんですね。つまり、ニーズがなければ移籍はない。欧州4大リーグのクラブが日本人を求めているかというと、そうではない。技術的にもメンタル的にも、そういう選手がいない。でも、例えばロシアの2部とか、あるいはルーマニアとかポーランドとか、サッカーの第3グループなんかには結構日本人はいるみたいです。そういったところには行きやすくなる。だけど、プレミアとかブンデスとかセリエにどんどん日本人が行くかというと、それはまた別の問題ですよ。

――まあ、それはそうでしょうね(苦笑)。そんなに需要もないわけですから

 以前、セミナーで「新ルールになって、みんながじゃんじゃん移籍したらどうするんだ」という質問があったんだけど、そんなことは起きないですよと(笑)。要するに、Jもこの問題を放置していたのは、そこが問題だったわけです。みんなが鹿島やガンバに行ったらどうするんだと心配したわけですよ。でも実際には、そうはならなかったじゃないですか。来年はもう少し(移籍する選手が)増えるかもしれないけど、でもチームがひっくり返るようなことにはならないんですよ。なぜなら、ひとつのチームが必要以上の選手を抱えることはないから。ましてや複数年契約しているわけだし。

――逆に海外から入ってくる選手についてはどうでしょう?

 海外から選手を取ってくることに関しては、もともと日本もFIFAルールでやっていたから、あまり関係ないです。もっと言うと、ブラジルは日本とサイクルが近くて1月〜12月というサイクルですから、実際に選手も多い。だけど欧州の選手については、シーズン移行しない限り、日本に来やすくなることはないですね。

――いわゆるシーズン移行のメリットですね? 実際、シーズンを秋開幕にすれば、海外移籍はもっと増えると思いますか?

 ダイナミックになる可能性は高いですね。そうなると、日本の選手が海外にチャレンジする機会も増えると思います。今だと、どうしてもシーズンの途中で抜けないといけないから、その分リスクが大きい。当社で契約している選手だと、太田(吉彰。現仙台)のケースですね。7月に磐田との契約が満了して、単身ヨーロッパに行って5カ国くらいトライアルを受けたんだけど、どこも決まらなかった。最終的に仙台に行きましたけど、そういうリスクを負わないといけない。不況なのは日本だけでなくて、ブンデスリーガでも1部の選手が60人くらい余っていましたから。そういうのが2部とか3部に落ちていく。だから日本の選手が行っても、ドイツ語がしゃべれないということになったら、どうしても後回しになってしまいますね。

プラチナ世代の海外移籍を阻むもの

チェルシーがトップチームの練習参加を打診した宇佐美。田邊氏は若い選手の海外挑戦に好意的だ 【Photo:アフロ】

――そこで気になるのが、若い選手の海外移籍についてです。日本の将来を担うであろうプラチナ世代が国際経験を積むためには、早い段階での海外移籍が必要という意見がありますが、田邊さんはどうお考えでしょうか

 僕は、高校だろうがユースだろうが、いい選手なら先に海外に行けばいい、というスタンスなんです。それに欧州のチームも、若くて才能のある選手を集めていくというのが原則。だから日本の選手についても、U−17とかU−20の選手に注目が集まっているのは事実です。特にアンダー世代の国際トーナメントは、かなりヨーロッパのスカウトが注目している。トゥーロン(国際トーナメント)もそうだし、ビジャレアルもそう。

――そこから具体的なオファーになるケースって、けっこうあるんですか?

 ありますよ。事実、当社はドイツのクラブ(ケルン)から、中京大中京の宮市亮という選手を練習に呼びたいというオファーを受けています。で、僕は学校に行って、監督の了解を得ることができたんです。宮市の場合、U−17ワールドカップ(W杯)でスカウトが見ていたんですね、60分くらいしか出ていないんだけど。1年半前もモンテギュー国際トーナメントに宇佐美(貴史=G大阪)がいて、チェルシーのスカウトから当社に連絡があったんです。練習に呼びたい、それもトップチームに。

――チェルシーのトップですか! それでどうなりました?

 僕がガンバに行って聞いたら「プリンスリーグがあるから行きません」と言われたんです(笑)。本人から。まだガンバとプロ契約する前の16歳でしたけど。でも、まさか断られるとは思わなかった(笑)。

――確かに(笑)。でも16歳だと、仕方ないですかね

 国際移籍は18歳にならないとできないから、年齢的にはすぐに行けないというのはありますね。ただし、日本の教育システムにも問題があるのかもしれない。クラブや学校がどうしても相談相手になるから、やっぱり「Jリーグからオファーがあるなら、そっちに行った方がいいんじゃないですか」とか「大学に行った方がいいんじゃないですか」という話になりますよね。それは正しい判断かもしれないけど、プロになるというのは、17だろうが18だろうが、大人として扱うということなんですよね。

――若い選手の契約の場合は、やはり親御さんにお会いすることはあるんですか

 親のウエートが重い、つまり親の意見に左右されやすい場合にはお会いするようにします。でも、本人の決断を親が尊重している場合は、特に話すことはないですね。そういう場合、本人の会話の中でも親のウエートが重くないです。やっぱり、大人として扱わない限り、こういう話はうまくいかないんですよ。「お前、本当に行きたいのか。学校は辞めないといけないし、Jにも行けないかしれない。それでも行くのか」「行きます」――ということになったら、僕らもヘルプできるかもしれないですが。

「セカンドキャリア=引退」ではない

――先ほど(※前編を参照)JリーグでA契約の選手が減っているというお話がありました。実際、毎年100人くらいのJリーガーが行き場を失って、JFLや地域リーグ、さらにはアジアにプレーの場を求めるようになっています。この点について田邊さんはどう見ていますか?

 実はウチの会社としては「これからはアジアだろう」という予測があったんです。日本はAFC(アジアサッカー連盟)の中でトップを切っているわけだから、そういうところに目を向けるべきではないかと。例えば、地域リーグからJFLに昇格したチームでも(年収)480万円とか珍しくて、240万なんかザラなわけです。だったらアジアに行った方がいいんじゃないかと。そこで、いろいろ開拓してみたんですけど、文化的な問題とか、外国人枠の問題とかでなかなかうまくいかなかった。やっと今年、財前(宣之)をムアントン・ユナイテッド(タイ)につなげたんです。

――あ、財前のタイへの移籍も、田邊さんだったんですか!

 財前は当社と契約していたわけではないけど、こういうのってパイプを作るところから始めるんです。で、一緒に会社をやっている僕の相方が、タイでそういうコネクションを見つけてきて、そのチームが「こういう選手がほしい」と。ところが、契約選手に当てはまるのがいなかった。それでも最初に送り込む選手だから、インパクトを与えられる選手がいい。そうすることで信頼関係が生まれる。そこでウチのスタッフが財前をリストアップして10年ぶりくらいに彼に電話したんです。「今から4時間以内に、タイに行くかどうか決めてください」って(笑)。

――何だかすごい話ですねえ(笑)

 というのも、年末に向こうで、トップ4チームによるプレシーズンマッチがあったんです。それにトライアルで出して、獲るかどうか決めるというのが向こうの考えだったんですね。その時、財前はどこにも行くチームがなくて「引退しようと思っている」と言っていたんです。

――それはもったいない。でも実際、まだまだプレーできるのに辞めざるを得ないという話は、あちこちで耳にしますからね

 日本では「セカンドキャリア=引退」じゃないですか。そうじゃないと僕は思うんです。やりたいけど辞めなければならない選手に対して、セカンドキャリアとしてもうひとつ、ないといけないんですよ。それがアジアだったんです。その一方で、アジアの選手たちが「Jに行きたい」と思うようにならないといけない。韓国のパク・チソンみたいに、日本からヨーロッパにステップアップしていくみたいなケースを、ほかのアジアの国々に対しても僕らは創出していかなければならないわけです。そこまで考えていますよ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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