黒子が語るオシムとの日々(前編)=千田善氏(イビチャ・オシム前日本代表監督通訳)インタビュー

宇都宮徹壱
 昨年12月、新たな「オシム本」が上梓(じょうし)された。『オシムの伝言』(みすず書房)である。前日本代表監督、イビチャ・オシムが来日して以来、これまでに何冊もの「オシム本」が世に出たわけだが、今回の著者は代表監督時代に専任通訳を務めていた千田善さん。最も身近でオシムを見つめてきた人物による回顧録である。それだけではない。千田さんは、オシムの出身地である旧ユーゴスラビア研究の第一人者であり、かつジャーナリストとしてこれまで何冊もの著作を発表している。いわば、あまたある「オシム本」の大トリにふさわしい存在であると言えるだろう。

 実は千田さんとは、個人的に長いおつきあいをさせていただいている。私のデビュー作『幻のサッカー王国』(勁草書房)での校閲(こうえつ)をお願いしたのが出会いのきっかけで、今から13年前の話だ。以来、取材中にベオグラードでばったり会ったり、結婚式に出席してくださったり、節目節目でお目にかかる機会があったのだが、いきなり代表監督通訳として目の前に現れたときは(何となく予想していたものの)やはりびっくりしたものである。その後、代表取材の現場で何度か言葉を交わす機会はあったが、じっくりお話をうかがうのは、それ以来のことだ。通訳時代から一転して、まるでつき物がとれたように穏やかな表情に戻った千田さんに、これ以上なく濃密だったオシムとの日々について語っていただいた。(取材日:1月19日 インタビュアー:宇都宮徹壱)

「倒れてからの時間が濃密だった」

千田氏が気に入っていると話す、インド戦後のオシム氏との写真 【宇都宮徹壱】

――JFA(日本サッカー協会)との契約が切れて、もう丸1年になります。オシムさんが元気になられてからは、ずっとこの本の執筆に当たっていたのでしょうか?

 実は書き始めたのは、すぐではないんですよ。「書こう」という気分になるまでに3カ月か4カ月くらいかかりましたね。(志半ばで代表監督を退任して)オシムさんも悔しかっただろうけど、僕も悔しかった。代表のサッカーの完成を見られず、僕もその場に立ち会えないというつらさ。それと人の生き死にに直面したということ。もちろん、自分が病気したわけでもないけれど“後遺症”のようなものはありましたね。で、あれは何だったかというのを振り返って、自分の中で消化しないと次に進めない、という状態でした。

――オシムさんが指揮を執っていたときと同じくらい、倒れてからの時間も濃密だったということでしょうか?

 むしろそっちの方がね。サッカーをやっているときは、うれしくて楽しくて、やりがいがあってというポジティブな経験でした。でもオシムさんが倒れて、家族も入れないようなICU(集中治療室)での集中治療のときに、それこそ医者と看護師と自分しかいないというような状態がかなり長い時間あったんです。その時はとにかく必死でしたから、それはもう「濃密」という言葉ではもったいないくらいの濃密さ。もちろん、日本代表のサッカー通訳の時代も濃密だったけど、まったく違う意味での濃密さでしたね。

――昨年の12月、ちょうどワールドカップ(W杯)の組み合わせ抽選会のタイミングで、元気になられたオシムさんが来日していました。あの時は千田さんが通訳をされていましたが、ずい分と久しぶりの再会だったのでは?

 オシムさんとは、別の仕事の通訳でも会っているんで、4カ月ぶりでしたね。それに何かあるとしょっちゅう、わが家に電話がかかってくるんです。「Jリーグはどうなった?」とか。それから大相撲の結果も(笑)。

――そういえば、ご夫婦で大変な相撲ファンらしいですね

 オシムさんは特にどの力士が好きというのは聞いたことはないんだけど、奥さん(アシマ夫人)は魁皇とか琴光喜が好きだったみたい。漢字が読めないのに、ぱっと顔を見て名前が言えますからね。

――オシムさんは、もうこの本はご覧になっていますよね?

 まあ日本語は読めませんけど、サインもしてくれました。表紙を見て「お前、どんなふうに書いているんだ」って顔をしていましたね(笑)。

オシム=自分たちが失った国のシンボル

――今回の本を執筆するにあたって、心掛けていたことは何ですか? すでにさまざまな「オシム本」が出ていることは、もちろん意識されていたと思いますが

 まず、宇都宮さんの素晴らしい写真も使わせていただき、ありがとうございました。個人的には129ページのインドの写真がとっても気に入っています。
 で、心掛けていたことですが、まず「暴露本」というつもりはないんだけど、外に出して差し支えない範囲で、近くで見たオシムさんの実像を紹介したい、というのがひとつ。それから、サッカー関係者には心構えとか練習方法とか、普通のビジネスマンなら生き方とか、その人の参考にできるような本にしたいというのはありました。だから第一にはサッカー界に対してなんだけど、それに止まらず、日本社会に何かしらのメッセージを出そうと。オシムさんが伝えようとしたときに、倒れてしまってできなかったことを代弁する、というのはありました。

――それから、旧ユーゴというバックグラウンドについての言及にも、かなり多くのページを割いていますね

 旧ユーゴの問題ということで言えば、たくさんの「オシム本」が出ている中で、ユーゴスラビアの問題とオシムさんの関係というものを両方知っている人というのは、なかなかいない。そのためか「このときに、こういうことを言った」というコンテクストがずれて紹介されているようなこともあったんです。ですから、事実関係の訂正やら固有名詞の表記やらも含めて「実はこういうことだったんです」というのを読んだ人には分かるように、アディショナル・インフォメーションのつもりで書きました。

――やはりオシムさんを理解するには、指導者としてのメソッドだけでなく、そのバックグラウンドについても言及する必要がありますからね

 結局のところ、旧ユーゴの人々にとってオシムさんは、サッカーの監督というだけではないんですね。自分たちが失った国のシンボルと考えている。なぜかというと、本の中で「涙の辞任会見」と書いているけれど、オシムさんがユーゴ代表監督の辞任を発表した数時間後に国連総会が、独立宣言した国々(クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなど)の加盟を認めているわけです。戦争が始まっていて連邦国家がもたない、というのはみんなが分かっていた。だけど、オシムさんの辞任会見の数時間後に、ダメ押しのようにあのニュースが届いて「これで本当にチトーが作った多民族の連邦国家がダメになった」と。当時、民族主義に傾いて「こんな国なんかなくなってしまえ」という人は別にして、「ユーゴスラビアという国がなくなると困る」という人たちにしてみれば、非常にノスタルジーをかきたてられるというか、自分の祖国がなくなるということですからね。だから「オシム」という名前は、そういった記憶とも結びついているんです。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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