黒子が語るオシムとの日々(前編)=千田善氏(イビチャ・オシム前日本代表監督通訳)インタビュー
通訳になって生活が激変した
日本代表通訳時代、「生活が激変した」と話す千田氏 【スポーツナビ】
僕もあの会見はテレビで見ていました。本当に偶然の縁で、オシムさん一家を日本でお世話していたボスニア人の女性、日本人の男性と結婚されている方なんですが、2人とも僕がベオグラードに留学していたときからのお付き合いだったんです。だからオシム家と僕との共通の友人ということで紹介されたんですね。それで田嶋さん(幸三=当時、JFA技術委員長)から僕のところに電話がかかってきて「じゃあ、来週の月曜日」とか、そういう感じだったのかな。問題は、サッカーをどれだけ知っているかとか、トレーニングでどれだけ通訳できるかとか、向こうも不安はあっただろうと思います。それで最初は3人制という通訳体制ということで、僕は会見担当、あとの2人はトレーニング担当という話だったんだけど、最初の練習から「お前がやれ」ということになったんです。
――なぜ、最初は会見担当だったんでしょうか?
たぶん、僕がサッカー経験者ということは伝わっていなかったんじゃないですか? ベオグラードに長くいたジャーナリストだとは知っていても、高校までサッカーやっていたことは、ひょっとしたらその時点で知らなかったかもしれない。まあ岩手県のベスト8なんか、大したことはないですけど(笑)。
――いやいや(笑)。それにしても、通訳というお仕事について、抵抗みたいなものはありませんでしたか?
通訳や翻訳は、実務としてはやっていましたよ。それは、現地でのジャーナリストとしてのインタビューも含めて20年はやってきたわけです。サッカーでいえば、キリンカップでユーゴ代表が来た時、ピクシー(ストイコビッチ)が会長だったときには、アテンドもやっていましたし。ただしトレーニングで、監督に合わせて通訳するというのは、あの時が初めてでしたね。
――そもそも日本代表の通訳となると、まるで注目度が違うわけですよね。相当に生活が激変したのではないですか?
激変しましたね。近所の奥さんたちがいろいろなうわさをしたり(笑)、子供が学校でいろいろ言われるとか、それから犯人は分からないけれど、わが家の駐車場に停めてあった車のタイヤがパンクさせられていたりとか、自転車のサドルがナイフで切られていたりとか。とにかく代表監督、あるいはそのスタッフがさらされる異常なまでのプレッシャーというものを、まず最初に経験しましたね。とくに家族には苦労をかけたなと思います。
通訳は黒子に徹するべきである
通訳もいろんなタイプがあると思うんです。僕は特にトレーニングを受けたわけではないけれど、ひとつのポリシーとして「まるで自分という人間がいないかのように通訳する」あるいは「オシムさんが日本語でしゃべっているかのように通訳する」というのがありました。つまり、通訳の存在に気がつかないような存在、というのがベストだと思っていたんです。人形浄瑠璃でも黒子がいないと人形が動かない。だから自分を殺すというか、保護色で隠すというか、見えないようになって、本当にオシムさんと選手たちが対等にコミュニケーションをしているように演出しようとしていましたね。
――監督と選手との間に通訳が入ると、どうしても両者が通訳の方を見てしまうことがあると思います。それを千田さんが黒子に徹することで、オシムさんと代表の選手たちはフェイス・トゥー・フェイスで会話ができたということでしょうか
会見のときは、オシムさんは僕の方を見て「うまく訳してみろ」という目で見るんです。でもミーティングのときなんか、オシムさんが選手たちを見て、選手たちもオシムさんを見て、耳だけはこちらを向いているという状態の方が、集中したいいミーティングになるんですよ。そうなるように目指していたけれど、いつもそうなるというわけではない。みんな「あれ?」って、頭の上に「?」が並んでいる状態になることもあります。それは僕が、ことわざなんかで意味を取り違えたり、分かっていないというときですよね。そういうときは、オシムさんがこちらをにらむわけですよ(笑)。
――それ、きついなあ(笑)。そういえば会見の途中で涙したことが、よく話題にされていましたね
いやあ、英文のウィキペディアの「Ivica OSIM」という項目にも書かれてしまって(笑)。通訳しながら感極まってしまうというのは、黒子に徹していないという意味では未熟なんだけれども、でもその場の空気になろうと入れ込んでしまうと、ちょっとずれて感情的になってしまうというのはあるんです。集中力が高まっているんだけど、冷静さが足りないというか、その面での未熟さはあった。でも、それくらい集中して入れ込んでいないと、あの人の通訳はできないんですよ。そこで「泣いた」とか「みっともない」とか言われても、僕は気にしない。まあ、家族はいろいろ言われるわけだけど(笑)。
日本のメディアの特殊性
それはメディアに限らず、日本人は笑わせるのが大変なんです。間瀬さん(秀一=ジェフ千葉時代の通訳)も同じことを言っていましたね。異文化コミュニケーションなので、通訳できないギャグとかダジャレというのは必ず出てくるわけです。けれども何を言いたいか、というのは伝えようとしていますね。あとジョークを言っているときは、少し場を和ませたり、これ以上その論争をしたくないというサインだったり、いろんなコンテクストでジョークを言うんだけど、そういうときは(発言の真意をくみとって)まとめてしまうとか。そういう機転をきかせないといけないというのはありますね。
――日本のメディアの成長を期待して、あえて挑発的な言葉を投げかけたりしていたこともありましたね
挑発的というより、ちゃんとした質問が出なくていら立つということはあったと思いますよ。あるいは、サッカーについての大事なことを話しているのに、次にまったく関係ない質問がポンと出たりすると「この人たちは何を聞いているんだろう」と。僕自身「もっとこういうことを聞けばいいのに」とか思うんだけど、そんなことを考えていると訳はできないので(笑)。僕も記者席の方に座っていた時代が長い人間ですが、会見自体がディスカッションの場になっていて、ある種の流れができている中で、ぽっと素人が「ところで」と、まったくレベルの低い質問をするということが日本ではすごく多いんですね。
――うーん、いささか身につまされる話ですね(笑)
で、会見が終わるとエレベーターの前で囲みの取材をするわけですね。会見場では「質問ありませんか?」と聞かれて「ない」ということで終わる。ところが、帰ろうとすると囲まれて質問が始まる。これが日本なんですよ。ほかの国では、こんなことはない。大学の授業と同じことが、サッカーの現場でも行われるわけですね。
――ところでこの本では、JFAに対して批判めいたことは一切書かれていませんね。日本のメディア同様、いろいろ言いたいことはあったと思うのですが
それは、オシムさんがケンカをしないというポリシーなので、それを受け継いだ本だからです。御用ジャーナリストになりたいとは思わないけれど、オシムさんはこういうことをやりたかった、言いたかった、ということをまず伝えようと。批判しようと思えばできないこともないけれど、少なくともこの本を出すタイミングでは控えようと思いました。なぜなら、オシムさんが教えた選手が今も日本代表に残っているから。彼らがこれから南アで勝負しようとしているときに、余計なトラブルを起こすのは僕自身も嫌だし、それはオシムさんも望むところではないだろう、というのはありましたね。
<後編(28日掲載予定)につづく>
千田善
1958年、岩手県生まれ。国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者(セルビア・クロアチア語)など。旧ユーゴスラビア(現セルビア)ベオグラード大学政治学部大学院中退(国際政治専攻)。専門は国際政治、民族紛争、異文化コミュニケーション、サッカーなど。新聞、雑誌、テレビ・ラジオ、各地の講演など幅広く活動。
紛争取材など、のべ10年の旧ユーゴスラビア生活後、外務省研修所、一橋大学、中央大学、放送大学などの講師を経て、イビチャ・オシム氏の日本代表監督就任に伴い、JFAアドバイザリー退任まで専任通訳を務める(06年7月〜08年12月)。サッカー歴40年、現在もシニアリーグの現役プレーヤー。
著書:「ワールドカップの世界史」「なぜ戦争は終わらないのか」(いずれもみすず書房)、「ユーゴ紛争はなぜ長期化したか」(勁草書房)、「ユーゴ紛争」(講談社現代新書)ほか。