Sリーグ経由でアジア進出する2人の日本人選手=アルビレックス新潟シンガポール社長コラム 第3回
「僕らのような選手たちもいるんです」
内田はインドネシアリーグの古豪、スラバヤFCに移籍。デビュー戦ではフル出場を果たした。 【是永大輔】
内田がサッカー界で脚光を浴びたのは高校3年時にU−18日本代表候補に選ばれたとき。「行っただけですよ。何もしてないですもん」と笑って話す本人の言葉通り、その後青いユニホームを着る機会には恵まれなかったが、持ち前のサービス精神でトップクラスの環境にハマった彼は、名門・順天堂大学を経て、在学中に愛媛FCへ入団する。
大学時代はチャンスに恵まれなかった。意気揚々と上京してきた内田だったが、度重なる故障やスタッフ陣との意見の相違もあってなかなか実力を発揮できない。「何で3軍でプレーしなくちゃならないんだ?」と自問自答を繰り返し、腐りかけた時期もあった。しかし敬愛する友近聡朗氏のいた愛媛FCへの移籍を契機とし、揺れ動いていた自分とプレーヤーとしての自分を向き合わせることに成功する。その後JFL入りを目指して戦っていたJAPANサッカーカレッジに請われて入団。1年間プレーしたものの結局JFL入りを逃し、「環境を変えたい」とアルビレックス新潟シンガポールへと移籍した。
内田はアグレッシブに相手選手に体ごとぶつかっていけるメンタルを持った稀有(けう)な存在だ。日本人選手の多くは足下にボールが入ったタイミングでタックルするが、内田の場合はその直前、もしくはもっと前に相手FWを体ごとつぶしにかかる。そのため、カードも多くけがもあったが、いい意味で「クラッシャー」としての内田は日本人離れしていたし、相手にとって非常に嫌な選手だったはずだ。端正なルックスでそんなプレーヤーなのだから、なおさらである。
昨シーズンの終了直後に行われたスポンサー感謝会で内田は「サッカー選手は日本代表だけじゃないんです。僕らのような選手たちもいるんです」と語った。仮にもスポンサー企業たちへの言葉である。ともすれば反感を買う可能性があったが、包み隠さず情熱的に話す1人の人間としての姿に共感を覚えた同席者がほとんどであった。内田には人を引き付ける天賦の才がある。
足立原とほぼ同時期に、内田も移籍を決断した。「もうちょっと条件の良かったところもありましたけど、どうせだったら一緒にやりたいと思えるクラブでやりたかった」と語る。彼の選んだクラブはインドネシアリーグの古豪、スラバヤFCである。移籍直前から多数の新聞にカラーで写真が載っていることを見ると、情熱的なファンの多いチームから早速内田は受け入れられているようだ。
インドネシアでのデビュー戦はそれぞれフル出場を果たしたが、足立原は無得点でのスコアレスドロー、内田は1−4の大量失点での黒星スタートとなった。彼らが本領を発揮するにはもう少し時間がかかるかもしれない(11月7日時点での情報)。
アジアでのプレーという選択肢
10月になって、シンガポール代表クラスの何人かの選手がバタバタとインドネシアへと渡った。足立原と内田を含めれば8人にもなるだろうか。この「ブーム」には少々カラクリがあった。今季のインドネシアリーグは、外国籍枠が「5」ある。そのうち2つがアジア枠となっているのだが、今季からはアジアの他国から加入する場合、移籍元クラブが「トップリーグ」に所属していなければならないという条項が加えられたのだ(日本、韓国、中国、サウジアラビア、イランは2部以上)。
特異なレギュレーションを持ったインドネシアが目をつけたのが、隣国でもあり「アジアトップ10リーグ」にも入っているシンガポールだった。1時間半ほど飛行機に乗れば選手を簡単に視察することができ、ある程度選手のレベルも高く、インドネシアリーグ開幕時にシンガポールリーグが終盤戦を迎えていた、など多様なメリットがあった。しかも、現在のSリーグにはサラリーキャップがあり、年俸が抑えられているので、インドネシア側から見た場合に引き抜きが容易というのもこの移籍フィーバーに拍車をかけたようだ。(加えて、東南アジアの他国と比較して相対的に契約ごとに対するリテラシーが高いというのも大きいのかもしれない)。
Jリーグの各クラブは今後、現状よりも選手数を絞っていく傾向にあるだろう。選手たちはこれまで以上にふるいにかけられていく運命にある。では、現役続行を希望する、残された選手の行き先は――。
「Sリーグで結果を残し、インドネシアやそのほかのアジア各国でプレーする」
このパターンが新しい成功事例として今後拡大していくことを、多くの埋もれている才能ある選手たちのために祈りたい。
<了>