中村俊輔「チーム内でのプレーの仕方がつかめてきた」=第10節 スポルティング・ヒホン 1−0 エスパニョル
後半途中から出場した中村俊はこれまでにないアグレッシブなプレーを披露した 【写真は共同】
土砂降りかと思えば、次の瞬間には晴れ間がのぞく大荒れの天候の中、開始早々の3分、CKからビリッチのゴールが決まり、ホームのヒホンが先制。この先制パンチで虚を突かれたエスパニョルは、その後しばらく防戦一方となったが、15分を過ぎたあたりから徐々に冷静さを取り戻し、前半の残り時間は完全にエスパニョルのペースとなった。しかし、2度のGKとの1対1の場面をはじめ、何度か決定機を迎えながら、いつものゴール欠乏症を露呈し、1点ビハインドのまま後半に突入した。
後半は、途中出場のデ・ラ・ペーニャを中心にボールを支配するエスパニョルに対し、ヒホンがカウンターで対抗する展開に。なんとか同点に追いつきたいエスパニョルのポチェッティーノ監督は56分、ベルドゥに代えて中村を投入した。右サイドMFに入った中村は積極的にボールに絡み、縦へのドリブル突破を試みたほか、自らアピールしてFKを蹴るなど、これまでにないほどアグレッシブなプレーを披露。決定機を作ることはできなかったものの、先発復帰への強い意欲を感じさせた。
試合は互いに譲らず、ロスタイムまで一進一退の攻防が続いたが、結局、エスパニョルはゴールを奪えずに0−1で敗戦。エスパニョルはリーグ戦7試合連続負けなしだったが、その記録は途絶えた。
以下は試合後の中村のコメント。
ミスもあったけど、それは積極的にやった結果
――直接FKのシーンではチームメートとの駆け引きもあった?
イバン・アロンソに何度もお願いして蹴らせてもらった。外から巻いてファーポスト下を狙ったんだけど、ボールが濡れていて難しかった。
――終盤に足を痛めているように見えたが
右足太ももの打撲。最後の場面で受けたファウルで。
<了>
(取材:川内イオ)
1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て、フリーライターに。某誌の連載企画で2006年1月より5カ月間、豪州、中南米、欧州の9カ国を回り、世界のサッカーシーンをリポート。その後、ワールドカップ・ドイツ大会での日本代表密着取材を経て、バルセロナに移住した。現在、サッカー専門誌を中心に幅広く活動中。09年1月に『サッカー馬鹿、海を渡る。―リーガエスパニョーラで働く日本人』を出版した
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