川上憲伸の奮闘とチームメートの存在

阿部太郎

DL入りの危機も乗り越え

メジャー1年目の今季、慣れない環境の中で奮闘を続けるブレーブスの川上 【Getty Images】

 中4日の登板、硬いマウンド、滑る球、定まらないストライクゾーン、言葉の壁……。
 メジャーに来て日本人投手がぶち当たるハードルは多く、ブレーブスの川上憲伸も、今でも「心地良くはない」と認める。

 がしかし、それ以上は口をつぐむ。言い訳を嫌う男は自分の中でもがき苦しみ、そして、前へ力強く歩を進めるのだ。

 それでも迷いが生じた時は、同僚がふと背中を押してくれた。

 今季一度、故障者リスト(DL)入りするかどうか、迷った時のことだ。

「一回(DLに入るかどうか)怪しいときがあったけど、チームメートから打たれてもいいからDLに入らないほうがいいって言ってもらったんで。それがベネットでした。意地でも、よっぽどのことがない限り(DLに入らないほうがいい)、と言われました」

 ジェフ・ベネットは、まだ29歳と川上より若いが、2004年にメジャーデビューした中継ぎ右腕である。05年はマイナ―、06年は右ひじの手術で1年間棒に振った苦労人で、おそらくは自分の経験から34歳のオールドルーキーにアドバイスしたのだろう。
 結果的にベネットからの一言は、川上の心を動かした。ここまで2度先発を飛ばしたが、今季日本人先発投手では唯一DLに入っていない。

「日本だったらギブアップさせてくださいというところもあったが、それを乗り越えてきている」

 前半戦を振り返った時の言葉は、確かな満足感を漂わせていた。同僚の一言は、壁を乗り越える大きな勇気となった。

親友は突如、チームを去り…

 川上の同僚ジェフ・フランコアがチームを去ったのは、7月10日(現地時間)、コロラド遠征のことだ。

 その日、練習前にフランコアと川上が「コンタクト4」という、オセロのようなゲームをしていた。勝ったのは、フランコア。川上を負かし、意気揚々と練習に向かうとき、チーム関係者に呼ばれ、メッツとの交換トレードが告げられた。川上が試合を終えてロッカーに戻ったとき、親友はすでに姿を消していた。

 フランコアは春のキャンプから、親身になって接してくれたチームメートだった。ゴルフも誘ってくれた。メジャーでは頻繁に起こるとはいえ、割り切ることはなかなか難しい。
「ショックでした」

 背番号「11」は、われわれの前でぼそりとこぼした。うつむく視線に、寂しさが漂っていた。

 フランコアの移籍から約1週間後の7月18日。かつての親友は、敵として川上の前に現れた。しかも、その試合で川上は、フランコアの前の打者デービッド・ライトを2度も敬遠で歩かせ、フランコア勝負に出たのだ。その結果は2打数1安打だったが、その1安打がアンラッキーな内野安打となり、川上を敗戦投手に追い込んだのだから、勝負の世界は非情というしかない。

 フランコアは「これも野球の一部さ」と優しい表情で話したが、川上は消え入りそうな言葉でつぶやいた――。「慣れなきゃいけないのかな」。

 悲喜こもごものメジャー1年目。

 日本時間7月29日時点で18試合に先発して、5勝7敗、防御率4.04。パフォーマンスに満足したことはほとんどない。配球の面にしても、まだまだ手探り。不安定なストライクゾーンを、審判に確認することもできない。もどかしさは募る。

 でも、と思う。

 周囲を見渡せば、日本人投手のほとんどがDLに入った。日本人投手は故障がちというレッテルをはられたくない。その意地が、川上の闘争心を奮い起した。そうして奮闘を続けていると、チームメートが手を差し伸べてくれる。

 それがたまらなく、うれしい。

<了>
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著者プロフィール

1978年1月9日生まれ、大分県杵築市出身。上智大卒業後、シアトルの日本語情報誌インターンを経て、スポーツナビ編集部でメジャーリーグを担当。2008年1月より渡米し、メジャーリーグの取材を行う

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