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64年の歴史に“幕” 名門チームNECの休部
企業スポーツは生き残れるのか?

チーム継続のためには? その理想と現実

約700人のファンの前で、あいさつをするNECの選手ら
約700人のファンの前で、あいさつをするNECの選手ら【市川忍】

 NECは1945年、日本における実業団チームの第一号として登録された(当時は日本電気)。82年から昇格した日本リーグで2度優勝し、Vリーグ(現プレミアリーグ)は2度、黒鷲旗では8度の優勝を誇る名門である。近年では2005年を最後に4強から遠ざかり、昨シーズンまでは3季連続で7位と低迷していた。ただし昨年、就任した竹内監督は長期的なプランを持って若手を起用し、3年後の優勝を目指して戦っていた。今年度の全日本候補に前田和樹、金子隆行、古賀幸一郎ら5名が選ばれ、先に行われたユニバーシアード大会にも菅直哉、柴小屋康行の2名を送り込んでいる。


 自身が最初に入社した日本鋼管で休部を経験し、NECに移籍したあとに開花。20代後半になって全日本でレギュラーを獲得した経験を持つ竹内監督は言う。

「移籍する選手は7名です。そのほかの9名は引退ということになります。もしかしたら社業をしながら、どこかのクラブチームに所属する人もいるかもしれませんが、それは日本バレーの強化につながる活動だとは思えません」

 休部により引退する選手が増えれば当然、競技全体のレベル低下を招く。そして、Vリーグが中間法人となって4年(現在は一般社団法人)、さしたる変化のない企業スポーツの現状も、NECの休部によって浮き彫りにされた。前田和樹はこう話す。

「休部と聞いたときに、クラブ化してはどうかと言い出す選手もいました。だけど、話し合っているうちに、練習時間が取れないんじゃないか、バレーに専念できないんじゃないかと反対する人も出てきて、結局チームとしての意見はまとまりませんでした」


 クラブ化を選べば地域への貢献活動やスポンサー集めなど、競技以外の仕事も増える。NECを退社して移籍する道も考えられるが、男子バレーにおける移籍選手は、その親会社に中途採用されるケースは稀(まれ)で、チームと単数年契約を交わしてプレーする場合が多い。バレーは続けたいが、安定した生活も捨てがたい。理想と現実の狭間(はざま)で悩み、競技人生をあきらめた選手も多い。Vリーグ機構の梅北理事は言う。

「90年代後半、多くのバレー部が休部になり、大きな危機感を抱いた我々は、Vリーグを中間法人化して何とか改革を進めてきました。当初は地域に密着しよう、そしてホームゲームの試合数を増やしチームの事業収入を増やそうという理念を掲げていました。ところが、その後、一時的に景気が回復してしまった。お金があるんだから会社に任せておけばいいじゃないかという安心感が、改革の邪魔をしてしまったのではないかと感じています」


 もちろん、NECが地域貢献に消極的だったわけではない。本拠地である東京はもちろん、第二フランチャイズの仙台でバレー教室を行うなど、Vリーグの理念を実践しようと貢献活動にも取り組んでいた。しかし、それを会社が認知し、必要とし、存続か撤退かを決める段階での切り札にはなれなかった。

 2000年に男子バレー唯一の地域密着型クラブとして活動を始めた堺ブレイザーズの小田勝美部長は語る。

「実はクラブチームであるうちより、多くのバレー教室を開いて、地域に貢献しているチームはたくさんあるんですよ。でも、残念なことに、それを会社へアピールできる人材がいない。今、企業スポーツのチームに最も必要なのは、企業に向けて自分たちの存在意義をプレゼンテーションできるゼネラルマネジャーのような役割だと思いますね」


 90年代の廃部ラッシュのあと、一度は前進したかに見えるVリーグ改革。再び迎えた企業スポーツの危機に、バレーボール界はどう立ち向かっていくのだろうか。


<了>

市川忍

フリーランスライター/「Number」(文藝春秋)、「Sportiva」(集英社)などで執筆。プロ野球、男子バレーボールを中心に活動中。

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