サビダンは幸運か不運か

 リーグ1での輝かしい3シーズンを経て、ついにフランス代表に選出されるまでになったスティーブ・サビダン。新シーズンはモナコでプレーする予定だったが、心臓疾患が見つかって移籍はご破算に。それどころか、サビダンはサッカーからも引退してしまった。サビダンは不運なのだろうか? 実は必ずしもそうとは言えない。

 サビダンの物語は、現代のおとぎ話だった。トラック運転手と家政婦の間に生まれ、フランス西部のアンジェに近い貧しい街で育ち、地元のクラブ(3部)でプレーし始めた時は完全なプロ選手ではなく、ほかの職業(バーの店員や廃品業者)も持っていた。1997〜2003年の間、サビダンはチームを転々としているが、下部リーグでも特に注目されるような選手ではなかった。ようやく芽が出たのが03−04シーズン、アングレーム(当時3部)で12ゴールを挙げ、同じく当時3部のバランシエンヌへ移籍した。そこで、2年連続の得点王を獲得、さらにチームを2段階押し上げてリーグ1に到達する。

 リーグ1で初めてプレーした時、サビダンは28歳になっていた。そのスキルと容姿の良さから、たちまち人気選手となり、2シーズン連続で13ゴールを記録してカーンへ移籍。ファンは他クラブでも活躍できるのか疑問符をつけたが、カーンでも14ゴールをゲットし、どのチームでも活躍できることを証明した。昨季のウインターマーケットでシャフタル・ドネツクからブランドンを補強したマルセイユだが、当初はサビダンの獲得を真剣に検討していた。しかし、サビダンはノルマンディー地方に残ることを決め、11月にはドネメク監督に招集されてフランス代表の一員としてウルグアイとの親善試合でプレーした(非常に良いプレーぶりだった)。

 カーンは2部へ降格することになり、サビダンには当然のごとくオファーが来た。いち早く動いたモナコが話をまとめるが、メディカルチェックで心臓疾患が発見され、移籍できないだけでなく、プレーヤーとしてのキャリアを続けることもできなくなってしまった。まさにトップレベルへの階段を上りつつあった、さほど老いてもない選手が、突然引退を余儀なくされるのは理不尽に思える。しかし、医師が疾患を見つけたのは幸運だとも言えるだろう。これまでにもあったような、ピッチ上での突然死を避けることができたのだから。
 アントニオ・プエルタ(セビージャ)がそうだった。やはりセビージャの選手で、ペドロ・ベルーゾも73年にピッチで突然死している。彼はピッチで亡くなった最初のスペインのフットボールプレーヤーで、死の数カ月後に生まれた息子は今ではマイナーリーグの選手になっている。ブラジルでは90年、フラメンゴへの移籍が決まっていたジョアン・ペドロ(レシフェ)がエストゥディアンテスとの練習試合中に死亡した。同じ年には、米国のニューヨークでブライトン・デビッド・ロングホーストがやはり同じように死亡している。

 92年、アルゼンチンのガルハペというクラブのGKビセンテ・バスケスはPKが胸に当たり、20秒後に死亡。その翌年にもPKの悲劇は繰り返され、スペイン3部リーグで当時24歳のリカルド・フェレイラがやはり数秒で死に至った。この93年は最悪の年で、ほかに2選手が心臓疾患が原因で死んでいる。イタリアでは19歳のステファノ・ジェッサがトレーニング中に、ルーマニアではミカエル・クラインが練習試合の最中に死亡した。

 2000年は東欧で不幸が続く。ディナモ・ブカレストのキャプテンだったカタリン・ヒルダンが親善試合の終盤に倒れた。1年後、ベオグラードではブラディミール・デミトリイェビッチが練習中に倒れて救急車で搬送する途中で死亡。02年、ペルーのデポルティボ・ワンカでプレーするブラジル人、マルシオ・ドスサントスが得点した直後に倒れて死亡。03年、パラグアイ人レフェリー、ホセ・ロベルト・ロダス氏が試合中に倒れた。コンフェデレーションズカップではカメルーン代表のマルク・ビビアン・フォエが死亡する。

 07年にはプエルタが倒れた。救急車の中で心臓は3度蘇生したが、ついに帰らぬ人となってしまう。10年間いがみ合い続けていたセビージャとベティスの会長は、これを機に緊張緩和を迎えた。UEFA(欧州サッカー連盟)スーパーカップでセビージャと対戦したミランのクラレンス・セードルフは勝利をプエルタにささげると言い、元チームメートのセルヒオ・ラモスもユーロ(欧州選手権)2008で優勝した時に同じことをした。セビージャはプエルタの16番を欠番とし、息子(名前は父と同じアントニオ)が18歳になるまで使わないと発表した。また、夏のプレシーズン大会にプエルタの名を冠することにした。フォエやプエルタのように有名ではないが、ほかにも何人かが心臓疾患が原因で亡くなっている。

 例外もある。ヌワンコ・カヌーはアヤックスからインテルへ移籍した時に心臓疾患が発見され、2度の手術を経て復帰。その後はアーセナルやポーツマスで活躍し、まだ現役を続けている。セネガル人のハリル・ファディガもインテルで疾患が見つかったが、彼はそのままプレーを続行し、幾つものクラブを渡り歩いている。リリアン・テュラムも死を回避した。17年間のキャリア、代表142キャップのテュラムに心臓疾患が見つかるとは夢にも思わなかっただろう。しかし、パリ・サンジェルマン移籍に際するメディカルチェックで判明すると、弟がバスケットボールの試合中に死亡していたこともあって、彼はあっさりと引退した。サビダンもテュラムと同じく引退するようだ。かつて1人のサッカーファンだったころの彼に戻るのだ。

<了>
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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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