40歳の「オールド・ルーキー」誕生=高橋建が日本人最年長メジャーデビュー

カルロス山崎

夢のために単身渡米

フィリーズ戦でメジャー初登板したメッツ・高橋。40歳での出場は日本選手最年長記録となった 【Getty Images Sport】

 映画『オールド・ルーキー』(原題はTHE ROOKIE)を観たことがあるか、と高橋建に尋ねたところ、「ありますよ」という言葉が返ってきた。では、35歳でメジャーリーガーになった映画の主人公ジム・モリスと、今、40歳になったばかりの自分に重なる部分があるかと尋ねると「それはないです。そんな、格好いいもんじゃないですよ」。

 だが今日、2009年5月3日(日本時間)、高橋は、独立宣言の街フィラデルフィアで格好いいオールド・ルーキーになった。広島にFA残留していれば、それなりのポジションや待遇が約束されていたはず。だが「夢を叶えたいから」「悔いを残したくないから」ということでブルージェイズとマイナー契約を交わし、単身渡米したのだ。

 しかし、高橋の周辺環境はキャンプ中に再発した右ふくらはぎ痛で解雇、即メッツとマイナー契約、マイナーで開幕後、結果を残してメジャー昇格など、短期間のうちに目まぐるしく変わっていった。そして、その変化は今も続いているが、メジャー昇格5試合目にして出番がやってきたのだ。40歳と16日でのメジャーデビューは、戦後ではサッチェル・ペイジ(1948年、42歳でデビュー)、ディオメデス・オリボ(1960年、41歳でデビュー)に次ぐ、史上3番目の“高齢”記録。日本人選手では最年長出場となった。

 「とりあえず一歩踏めたので、よかったです。記録はうれしい。40(歳)になっても、こうやってできるってことが(多くの方に)いいように伝わっていたらうれしい」

ピンチを切り抜けた1球

 高橋がメジャー昇格を果たした4月27日、メッツのジェリー・マニエル監督は、高橋の起用法について「先発投手が序盤で崩れたときなどの、ロングマン(ロング・リリーフ)として考えている」と明言。そしてこの日も、その起用法に変わりはないと断言していた。チームにとって臨んでいた試合展開ではなかったが、高橋がみせたこの日のピッチングは、本人はもちろん、ブルペン陣に課題があるメッツにとって、大きな収穫となった。

 メッツの先発は、ここまで1勝2敗、防御率9.31のオリバー・ペレス(WBCではメキシコ代表のエース)。先発ローテ残留を懸けた、がけっぷちの登板とささやかれている中、この日もボールの大暴走は変わらず、3回裏、4四球で4点目を失ったところで降板。ついに、高橋の登板機会が訪れた。
 ただし、2点ビハインドで1死満塁というタフな場面。ラモン・カストロ捕手の最初のサインにうなずいた高橋の初球は、「(持ち球の中でも)自信のあるボール」というシュートだった。

「嫌な場面でしたけど、あの1球で落ち着きました。シュートは(広島の時も)よくピッチャー返しになることがあったんですけど、まさか来るとは思わなかったですね」

 最初の打者シェーン・ビクトリーノの打球は投手への痛烈なライナー。高橋は試合後、「若かったら対応(捕球)できたかも」と苦笑いを浮かべたが、みぞおちで受けた打球を落ち着いてカストロに送球し、三塁走者を封殺。するとカストロは、二塁ベースに入っていたホセ・レイエスに送球し、一塁走者もアウト。形こそ違ったが「ゲッツーをとりたかった。シュートで内野ゴロが目標でした」と振り返ったように、狙い通り、しかも1球でピンチを切り抜けるという、インパクトのあるメジャーデビューとなった。

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著者プロフィール

大阪府高槻市出身。これまでにNACK5、FM802、ZIP-FM、J-WAVE、α-station、文化放送、MBSラジオなどで番組制作を担当。現在は米東海岸を拠点に、スポーツ・ラジオ・リポーター、ライターとして、レッドソックス、ヤンキースをはじめとするMLBや、NFL、NHLなどの取材活動を行っている

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