フッキ、成功への階段を昇り続ける“超人”=ポルトガルサッカー

CL準々決勝でマンチェスター・ユナイテッドと対戦

ポルトの攻撃を一角を担うフッキ(中央)。CL準々決勝では前回王者マンチェスター・ユナイテッドと対戦 【Getty Images】

 7日のマンチェスター・ユナイテッドとのCL準々決勝では、フッキの輝きがさらに証明される試合になるだろう。敵地オールド・トラフォードはフッキにとって理想の舞台である。なぜなら、現在CLに残った8チームの中で、ポルトが最もカウンターアタックで相手に脅威を与えるチームと言えるからだ。当然、ポルトはリスクを冒さず、守備的に引いて、あわよくばカウンターでアウエーゴールを奪うという戦い方をしてくるはずだ。

 フェレイラ監督は、両肩に背負った過剰なプレッシャーを取り除くことができていないように見える。だがフッキは、「世界最高の選手たちの猛攻をしのがなければならないのは分かっている。しかし、それをしのぐ方法として、自分のヘディングの強さが絶対のアドバンテージとなる。彼らはシュートをフィニッシュまで持っていけずにクリアされるという繰り返しを演じることになるだろう」と、決戦を前に気丈に語っている。フッキは自分の武器であるヘディングプレーの必要性と重要性をしっかりと心得ているようである。

「第二の故郷」ポルトのために

 最近、ポルトガルメディアが行った世論調査では、「今、ポルティスタ(ポルトファン)が最も好きな選手」にフッキの名前が挙がるほど、彼はクラブにとって必要不可欠な選手になっている。しかし、ポルトはいまだフッキの保有権を100%獲得していない。

 フッキは東京ヴェルディからポルトに完全移籍した選手と思われているが、実はそうではない。東京ヴェルディからアトレティコ・レンティスタスというウルグアイの無名2部クラブを経由してポルトに移籍したのである。
 これは、フッキの代理人でもあるジョアン・フィゲルが移籍金獲得のためによく使う常とう手段で、ウルグアイでは移籍金に関する収入は非課税のため、若手ブラジル人選手(=フッキ)の保有権のみを買い取り、所有元のクラブ(ポルト)に期限付き移籍させる。その選手が活躍することで商品価値が上がり、巨額の移籍金で他クラブからオファーが来た時に移籍させれば、本来課税されるはずの税金分だけ、レンティスタスと代理人のジュアン・フィゲルの懐に大金が入るという仕組みである。

 昨シーズン、ポルトがフッキを獲得したときには50%の保有権として、550万ユーロ(当時のレートで約9億3000万円)をレンティスタスに支払っているが、今回残りの50%の保有権を買い取るのに、ジュアン・フィゲルはフッキの今シーズンの活躍から市場価値を4000万ユーロ(約54億円)と判断。その残額である3450万ユーロの支払いをポルトに要求していると言われている。ポルトのフッキ残留に向けての交渉は難局を迎えていると言ってもよい。

 しかし当の本人は、来シーズンもポルトでプレーしたいという気持ちに変わりはない。ポルトはフッキにとっては「第二の故郷」でもあるからだ。15歳のとき、単身ポルトガルに渡ったフッキは、ポルトから5キロメートルしか離れていないビラ・ノバ・デ・ガイアという街のビラ・ノベンセというクラブのジュニアユースの選手として本格的なサッカーキャリアをスタートさせている。
 1つの小さな家に8人のチームメートが同居する共同生活で、フッキはアフリカのカボベルデから来た小柄な少年と親友になる。その少年こそが、現ポルトガル代表で活躍するネルソン(ベティス/スペイン)である。
 ネルソンは「あのころは、ウルクも僕もいつもお腹をすかせていた記憶しかないよ(笑)。たまの休みにポルトまで彼と遊びにいくのが楽しみだったね。彼は当時から体が大きくてね。ものすごい威力のシュートを決めていたのをよく覚えているよ」と、当時を振り返っている。

 そのフッキは、将来ポルトの選手としてCLで活躍することができるなどと、本気で想像していただろうか? 彼のポルトに懸ける思い、そしてポルトのためにタイトルをもたらしたいという思いが、7日のマンチェスター・ユナイテッド戦で人一倍強くプレーに表れるのではないだろうか。“超人”のプレーから目が離せない。

<了>
■フェルナンド・ウルバーノ/Fernando Urbano
1978年3月1日、リスボン生まれ。新リスボン大学在学中より、ポルトガルの一般紙『ジョルナル・デ・ノティシア』紙に2年勤務。その後、ポルトガル最大のスポーツ紙『ア・ボーラ』(ちなみに、ウェブサイトはポルトガル国内で最もアクセス数が多い)の記者に転身。2001年より国内最大の人気クラブであるベンフィカの番記者として活躍している。ポルトガル語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語と5カ国語に堪能で、語学力を生かしてペレ、ディ・ステファノ、プラティニなどのサッカー界の重鎮の独占インタビューにも成功している。

■翻訳:鰐部哲也
1972年10月30日生まれ、三重県出身。2004年から約4年間、ポルトガルのリスボンに在住し、ポルトガルサッカーを日本に発信。昨年8月に日本帰国後は、故郷の四日市市で対ブラジル人用のポルトガル語の通訳をしている。

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著者プロフィール

1978年3月1日、リスボン生まれ。新リスボン大学在学中より、ポルトガルの一般紙『ジョルナル・デ・ノティシア』紙に2年勤務。その後、ポルトガル最大のスポーツ紙『ア・ボーラ』(ちなみに、ウェブサイトはポルトガル国内で最もアクセス数が多い)の記者に転身。2001年より国内最大の人気クラブであるベンフィカの番記者として活躍している。ポルトガル語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語と5カ国語に堪能で、語学力をを生かしてペレ、ディ・ステファノ、プラティニらのサッカー界の重鎮の独占インタビューにも成功している

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