マンU優勝のあとに=決勝 キト 0−1 マンU

宇都宮徹壱

ビディッチの一発退場は「けがの功名」?

南米王者リガ・デ・キトは堅い守備で欧州王者マンUを最後まで苦しめた 【Getty Images】

 マンUを襲ったアクシデント。それは後半4分のビディッチの退場劇であった。
 あとでスロー映像で見てみると、キトのFWビエレルともつれて倒れた際、ビディッチのひじが相手のほほに入っているのが確認できる。故意か、偶然か、それは分からない。いずれにせよマンUは、これでセンターバックを1枚失い、以後の41分間を10人で戦うことを余儀なくされる。

「忍耐強く規律を持って、失点しないこと。そうすることで、ルーニーやロナウドが、何か特別な仕事をしてくれることを期待していた」(ファーガソン監督)

 ファーガソン監督の決断は早かった。2トップの一角、テベスを下げてDFエバンスを投入。さらに、前線の並びにも変化が。ワントップの位置にC・ロナウドが入り、ルーニーが左サイドに回ったのである。前者については空中戦の強さを、そして後者についてはポジションにとらわれない巧さとスピードを買っての判断と思われる。

 だが、さすがのマンUもしばし我慢の時間帯が続く。キトの攻撃の中心にいるのは、21番をつけたアルゼンチン人MFマンソ。後半18分には左足で豪快なミドルシュートを放ち、27分には自らドリブルで持ち込んでマンU守備陣を慌てさせている。
 ちなみにこのマンソ、小柄で童顔なので若いと思っていたら、79年生まれの29歳である。ニューウェルス・オールドボーイズ(アルゼンチン)でキャリアをスタートさせ、その後バスティア(フランス)やスコダ・クサンシ(ギリシャ)など欧州でのプレー経験を経て、流れ流れてエクアドルにたどり着いた。そして長いキャリアで初めて迎えた、世界のひのき舞台。年齢的に欧州の舞台に返り咲くのは難しいかもしれないが、こういう選手がエクアドルあたりでもゴロゴロいるのが、南米サッカーの奥深さである。

 後半28分。ついにこの試合唯一のゴールが生まれる。敵陣でボールを回すマンUは、ペナルティーエリア前で受けたC・ロナウドが、とっさの引き球でマーカー2人を引きつけ、すぐさま左サイドのルーニーへアウトサイドでラストパス。これをルーニーが右足ダイレクトでネットを揺らし、ついにマンUが待望の先制ゴールを挙げた。ワントップのC・ロナウド、そして左サイドのルーニーによる絶妙なコンビネーション。結果として、ビディッチの退場劇は「けがの功名」に働いたようである。
 やがて、マンUサポーターの勝利の凱歌がスタジアムを包みこみ、タイムアップのホイッスルが鳴り響く。この瞬間、1999年のトヨタカップ以来、実に9年ぶりとなるマンUのクラブ世界一が決まった。

フラットではない世界を俯瞰するための大会

 かくして、2005年から日本で開催されてきたクラブW杯は、欧州の2勝2敗で、ひとまずのピリオドが打たれることとなった。今年も大会を総括して、この連載をしめくくることにしたい。もっとも、大会フォーマットや運営に関しては、これまでもさんざん言及してきたし、今大会は「一区切り」の意味合いが強い。よって、ここはひとつクラブW杯の存在意義について、あらためて考察してみようと思う。

 別格の存在である欧州、その欧州にジェラシーと敵愾心(てきがいしん)を抱き続ける南米、その欧州と南米に挑戦し続けるアジアとアフリカと北中米カリブ、そして独自の歩みを続けるオセアニア――。このクラブW杯は、そうしたフットボールの世界の構図があらわになる大会である。そしてそのヒエラルキーは、今のところ容易に崩れそうにない。
 確かに、欧州が南米に敗れることもある。が、それは南米が超守備的な戦術を用いて、相手を自分たちのペースに引きずり込もうとする局地戦に限られる。その場合のスコアは、決まって1−0だ(今回の決勝も、ビディッチ退場後の展開によっては、1−0でキトが勝利する可能性は十分にあったと思う)。

 一方で、今大会は「パチューカが決勝に進出するのではないか」とか「ガンバのサッカーがどこまでマンUに通用するか」などと、大陸間の力の差が縮まっているような期待を抱かせるカードに注目が集まった。だが結果として、パチューカはキトの堅守に歯が立たず、ガンバはマンU相手に3点分の希望と5点分の失望を味わった。そもそも、この日の3位決定戦と決勝を見比べてみれば、南米と欧州、そして北中米カリブとアジアとの間には、まだまだ深い断絶があることを認めざるを得ないだろう。ガンバは一瞬、マンUの後ろ姿をとらえたのかもしれない。手を伸ばせば、届きそうに思えたのかもしれない。だが、欧州は待ってくれない。どんなにアジアが追いかけても、欧州もまた走り続けている。

 大陸間における、競技力や経済やインフラの格差は、やはり厳然と存在するし、5年や10年で埋まるものでもない。だが、いくらコンテンツ的な価値にバラつきがあるからといって、かつてのトヨタカップのように「南米対欧州」の対戦のみを繰り返していても、各大陸はずっと孤立したまま、その差は永遠に縮まることはないだろう。
 クラブW杯とは、決してフラットではない世界を俯瞰(ふかん)し、そのギャップを少しでも近づけるための壮大な実験なのだと思う。そう、大会としては、まだ実験段階なのだ。だからこそ、お客さんに満足してもらえるコンテンツとしては、未整備な部分も少なくないのである。それが曲がりなりにも「興業」として成り立ってしまうのは、開催国日本に、長年のトヨタカップの実績と高い運営能力、そして寛容かつ好奇心旺盛なサッカーファンの存在があったからだと思う(その意味で、来年以降のUAE大会について、私はいささか懐疑的だったりする)。

 いずれにせよ、マンUの優勝をもって今大会は無事に閉幕した。来年の今ごろ、私たちサッカーファンは、ちょっと物足りないクリスマスシーズンを過ごしているのかもしれない。だが、たとえ開催地が日本から離れたとしても、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)出場権を得たJクラブの「世界」への挑戦は続く。そうして考えるなら、開催国としての責務から解放された「ゲスト」として、この大会を楽しむのも悪くないだろう。
 2000年にブラジルで誕生し、2005年に日本で復活し、2009年にはいよいよUAEに旅立つクラブW杯。大会のさらなる発展を願いつつ、この連載を終えることにする。ご愛読いただき、有難うございました。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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