阪神ファンから消えないおぞましき2008年の記憶=2008年12球団を振り返る

ダンカン

二度あることは三度ある。三度あることは……?

 史上最悪の13ゲーム差をひっくり返され、目の前にぶら下がっていたはずのリーグ優勝を巨人に持っていかれたあの屈辱、嘆き、悪夢の光景は、あれから2カ月の時が流れようとしている今でも、思い出すたびにおれを息苦しくさせるのだ。いや、おそらくこの先、何十年が過ぎようが阪神ファンをやめない限り……そんなことは決してあり得ないのでつまりは一生涯、このおぞましき記憶は消えてはくれないのだろう。

 しかし、ガックリと落ち込んでばかりもいられないのだ。なぜなら世の中には「二度あることは三度ある」ということわざがあるが、わが阪神は過去にも優勝をほぼ手中におさめながら、その手からポロリと落としてしまったことがある。1973年に阪神対巨人の最終戦で逆転Vを許したのをはじめ、92年はヤクルトに最終戦のひとつ前の試合で胴上げを許した。そして、今季の信じ難いオールスター後の失速でのV逸と、すでに三度目を成し得てしまっているのだ。

 ほかの球団であれば「アハハ。三度もやらかしてしまったのだから、もう次はありませんよ。逆に気が楽になったというものです。アハハハ……」となるのだろうが、あり得ないことが起きる、いや起こしてしまうのが阪神という球団の伝統というか、十八番であることを重々ファンは承知しているのだ。だから平気で「三度あることは四度ある。四度あることは五度も六度もえーい! もう十度でも二十度でもあるわ!!」となりかねないのです。そんな訳で今後同じ轍(てつ)を踏まないためにも、あえて振り返るのもおぞましい今季に思いを巡らせ、新生・真弓阪神へのエールの意味も含めて反省してみるのです。

目に見えない怪奇現象が阪神を苦しめた!?

 しかし、一言で敗因といっても、13ゲームというとんでもない数字を逆転されたのだから、いくつもの原因が絡みに絡みつき、冬山の頂上から転がした小さな雪玉が巨大になり、下の町を壊滅させたという具合に考えるべきだろう。
 その一つとして、北京五輪で新井貴浩、矢野輝弘、藤川球児がチームを離れたということもあるだろう。さらに新井に至っては、後に腰の骨折まで判明するという不運に見舞われたのだ。
 また、当然開幕から快進撃を続けたことにより、7月には早くもマジックが点灯してしまったことによる「心のスキ」が生じたということも、決してなかったわけではないと思う。
 さらに、後半の打撃陣の不振に加え、先発投手陣が年間を通して下柳剛、安藤優也、岩田稔のせいぜい3人であったという選手の力も考えるべきだろう。

 そして、巨人に虎のシッポをつかまれ始めた10月3日、先発の安藤が6回まで東京ヤクルト打線をわずか3安打、0点に抑え、チームも4対0と勝っていたのに久保田智之に交代し、逆転を許す(結果は5対7)という奇妙なさい配???
 あの交代に関しては多くのファンが首をかしげ、今季のポイントに挙げることであろう。
 しかし、あれは岡田さんが悪いんじゃなくて、目に見えない怪奇現象「神宮の呪縛(じゅばく)」が生み出したものなのです。92年にヤクルトに優勝をさらわれた時も、終盤の神宮で中村勝広監督が「えっ、先発の湯舟をリリーフ起用? そりゃあきまへんでぇ!!」と日本中の虎ファンが絶叫し、そこから坂道を転がり落ちていったのもすべては神宮の地に虎を陥れる霊気があり、それが作用したとしか思えないのです。

何度思い返しても悔しい!

 最後にもう一つ。これは真弓阪神にも大きな課題になるでしょうが、苦しいときに金本知憲や矢野らのベテラン頼りではなく、中堅のレギュラー選手(個人名を出して申し訳ないけど、鳥谷敬くんですよ!!)がチームを引っ張っていくようにならなければ、ここ一番で阪神は変われないと思ったのだ……。

 ああ、それにしても何度思い返しても悔しい〜。シクシクシク……真弓さん、この敵を来季こそとってくれ〜!!

<了>
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著者プロフィール

1959年1月3日生まれ。埼玉県出身。オフィス北野所属。お笑い芸人、俳優、放送作家。趣味は野球、釣り。特技はイラスト。たけし軍団の一員として、数々のテレビ番組で活躍。野球への情熱も熱く、熱烈な阪神ファンとして知られる。

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