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美しき未完の大器・青木愛

 過去の五輪で一度も落としたことのないメダルを北京でも死守すべく闘う、シンクロナイズドスイミングの日本代表メンバーが内定した。

 16日、東京・国立スポーツ科学センターで行われた北京五輪代表選手最終選考会で、9人の選手が代表に選ばれた。日本代表は、来年4月・北京で開催される五輪予選に出場、五輪出場権獲得を目指す。

躍進の代表入り

未完の大器・青木愛。弱点と戦い、北京五輪への道を歩き出した――
未完の大器・青木愛。弱点と戦い、北京五輪への道を歩き出した――【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】

 国際大会では小柄な印象がある日本代表だが、そのなかで頭一つ出ているのが最年少の22歳、青木愛である。身長173センチ、端正な顔立ちの青木だが、今まで代表では補欠であることが多く、なかなか恵まれた容姿を生かせなかった。2005年・世界選手権モントリオール大会では、代表に入りながらも肩のけがのため離脱。07年世界選手権メルボルン大会では、代表入りは果たしたものの、出場機会にはあまり恵まれなかった。代表の中心メンバーまではあと一歩の青木。けがという不運もあったが、「ひとつのことをミスしてしまうとそれをひきずってしまっていた」(青木)という気の弱さも、青木の試合出場をはばむ壁のひとつであった。


 13人の候補選手が選ばれた9月の第一次選考会で11位だった青木にとり、さらに9人に絞られる今回の最終選考会は難関だった。それでも「(五輪出場は)小さいころからの夢だったので、悔いを残さないようにしようと思った」。本番直前には腹痛があったが、前日から緊張するということはなく、適度な緊張で臨めたという。演技中も、「どこかで失敗をしても、次は絶対ミスせぇへんように」と、一つのミスをひきずる悪い癖も抑えて演じ切った。

 そして、夢の舞台への青木の思いが、7位通過という結果を生む。金子正子シンクロ委員長は「オリンピックになんとしても行きたいという気持ちが強かった」と話し、選考会の最後に行ったテクニカルルーティンは、金子委員長をして「拍手したいくらい良かった」と言わしめる出来栄えだった。金子委員長の「良かったよ」という言葉に、青木は涙をこぼして抱きついてきたという。

最終選考会後の会見で、記者の質問に答える青木
最終選考会後の会見で、記者の質問に答える青木【沢田聡子】

 青木が涙を見せた場面がもうひとつあった。候補選手だったが最終選考では残れなかった、同じ生年で仲が良いという鈴木英里奈について問われたときである。目を赤くした青木は、五輪では泳げない仲間の分まで頑張ることを誓った。


 日本代表の演技にスケール感を出すために重要な存在である青木は、今はスタートラインに立ったばかりであることをよく理解している。「代表に選んでもらっても補欠としてプールサイドで見守っていることが多かったので、今回は絶対泳ぎたい」

 「背が高くて私たちには必要な選手なので、頑張ってくれて嬉しい」(金子委員長)。演技はまだ粗削りな印象だが、若い青木は北京五輪までに変ぼうを遂げる可能性を十分に秘める。「北京では絶対にメダルを取らなければいけないので、後8カ月しかないですが一日一日頑張っていきたい」日本シンクロの伝統を北京五輪でも守るため、美しき未完の大器・青木愛にかかる期待は大きい。


<了>

シンクロ五輪予選代表に選ばれた選手たち。左から二人目が青木
シンクロ五輪予選代表に選ばれた選手たち。左から二人目が青木【沢田聡子】

<北京五輪予選代表選手>

原田早穂(東京シンクロクラブ)

鈴木絵美子(東京シンクロクラブ)

川嶋奈緒子(アクラブ調布)

松村亜矢子(ザ・クラブピア・88)

橘雅子(浜寺水練学校)

小林寛美(浜寺水練学校)

青木愛(井村シンクロクラブ)

石黒由美子(ザ・クラブピア・88)

小村恵里佳(井村シンクロクラブ)

※選考会順位順

沢田聡子

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(シンクロナイズドスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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