マラドーナと心中覚悟のアルゼンチン=2010年W杯南米予選

監督人事をめぐる真実

ビラルド(左)、グロンドーナ会長(右)とともにアルゼンチン代表監督の就任会見に臨むマラドーナ 【Photo:Getty Images/アフロ】

 これ以上の決断があるだろうか。AFA(アルゼンチンサッカー協会)はこのたび、かのディエゴ・マラドーナを代表の新監督に任命した。それはすなわち、リスクを引き受けるということにほかならない。すべての時代において世界一の選手とも言われる“神の子”は恐らく、アルゼンチンが2010年ワールドカップ(W杯)の南米予選を戦っていく中で、数々の困難にぶち当たるだろう。圧倒的なカリスマ性を誇る一方で、監督経験がほとんどなく、母国のファンたちの支持も得られていないからだ。
 アルゼンチン人の平均的なサッカーファンのみならず、栄光の歴史に彩られた天才レフティーを愛する者でさえ、今回のAFAの決定には疑問を呈している。地元の主要メディアの調査によれば、国民の76%がマラドーナの代表監督就任に反対しているという。

 監督としてのマラドーナといえば、90年代に2度、短期間クラブチームを率いた経験があるだけだ。マラドーナは1994年のW杯・米国大会で禁止薬物を使用し大会から追放されると、15カ月にわたって出場停止処分を受けた。そこで94年から95年にかけて、マンディーユ・デ・コリエンテスとラシン・クラブという小さなクラブの監督に就いたのだ。しかし、わずかな結果しか残すことができず、むしろチームの無秩序が浮き彫りになった。

 今回の監督人事をめぐる真実を明かせば、AFA会長でFIFA(国際サッカー連盟)の副会長でもある“全能の”フリオ・グロンドーナは当初、マラドーナにアルゼンチン代表を任せようとは考えていなかった。ファンの支持を得られないことは分かっていたからである。しかし、ボカ・ジュニアーズやベレス・サルスフィエルドを率いて数々の優勝を経験し、バシーレの後任に最もふさわしいと思われたカルロス・ビアンチには、すでに98年と2004年に監督就任を打診し、断られていた経緯があった。10月16日にアルフィオ・バシーレが辞意を表明して以来、代表監督はなかなか決定しなかった。

 グロンドーナは27日にチューリヒでの商用から戻ると、2人の息子とともに自宅にこもった。1人は現在アルゼンチン2部のタジェレス・デ・コルドバの監督で、ビジネス界とも深いつながりのあるウンベルト。もう1人は、50年代にグロンドーナ自身が設立し、現在アルゼンチン1部に所属するアルセナルFCの代表を務めるフリオ・リカルドである。彼らは数日にわたり協議を行い、やがてAFA会長は驚きの決断を下した。
 いくつかの地元メディアによると、アルゼンチン代表の試合開催の権利を購入したロシアの企業レノバが、マラドーナの監督就任を望んだという背景があるという。現役時代から公私にわたって物議を醸してきた天才がアルゼンチン代表を率いれば、商業的に話題性には事欠かないからである。そして、グロンドーナの息子たちはこのアイデアのスポークスマンでもあった。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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