ポルトガル、不安だらけの序盤戦=2010年W杯南アフリカ大会欧州地区予選

市之瀬敦

“格下”のアルバニアにスコアレスドロー

結果が求められるW杯予選だけに、ケイロス監督(写真)に与えられた時間は限られている 【Getty Images】

 15日、今度はホームのブラガで行われた第4戦のアルバニア戦。信じられないことに、0−0という、あってはならない結果が待っていた。
 試合が行われたブラガ市営スタジアムは2003年に建設され、ユーロ2004の舞台にもなった。恥ずかしいことに、今回の試合まで知らずにいたのだが、昨年7月以降、フランスの保険会社とスポンサー契約を結んだことで「AXAスタジアム」と呼ばれるようになっていた。いつの間にか、ポルトガルにも「ネーミング・ライツ」の流れが及んでいたのであった。

 さて、これまでポルトガルはアルバニアと3度対戦して全勝していた。1998年W杯・フランス大会の予選で同組となり、ホームでもアウエーでも勝っている。5年前には、ユーロ2004の準備を兼ねた親善試合で5−3で勝利した。今回の対戦ではけがで出場できなかったが、リカルド・カルバーリョが代表デビューを果たした一戦でもある。
 ケイロス監督はアルバニアを「予選突破する見込みはないが、誰かを予選から追い出す可能性がある国」として警戒していた。足を引っ張られかねない嫌なチームということか。とはいえ、ポルトガルにしてみればば明らかな“格下”のチーム。求められるのは勝利だけ。合言葉は「エ・パラ・ガニャール」(勝利あるのみ)という感じだった。

 スウェーデン戦は高さ対策もあり、中盤の底にフェルナンド・メイラを置いた。それは成功したが、ホームでアルバニアが相手となると、当然より攻撃的な布陣となる。メイラを外し、ダニーを先発させたのは予想通りだったが、意外にもケイロス監督は、中盤にマヌエル・フェルナンデスを起用した(出来は良かった)。
 言うまでもなく、試合は最初から最後までポルトガルが完全に支配した。前半に一度だけアルバニアにゴールチャンスがあったが、ボジングワの代わりに急きょ先発したミゲルが落ち着いて対応した。
 しかし、この日のポルトガルはかつての悪い時のポルトガルであった。テクニックのある選手がボールをよく回すが、最後が決まらない。アルバニアが10人になっていた後半は(ちなみに、前半24分に途中出場したテリは同42分にイエローカード2枚で退場。わずか18分間しかピッチに立っていなかった)、ウーゴ・アルメイダのヘディングシュートがポストをたたいたり、ヌーノ・ゴメスのスルーパスを受けた途中出場のナニがフリーでシュートを放ったりしたが、得点には至らなかった。「ポルトガルサッカーには残り30メートルが足りない」と言われた時代が戻ってきたかのようでもあった。

ケイロスさい配に若干の疑問

 前半にC・ロナルドに対するPKを主審に取ってもらえなかったという不運はあるかもしれない。しかし、その前半で、スタンドが最も盛り上がったのがアルバニア人選手に対するレッドカードが出された瞬間というのは情けない。
 しかも、不運だけが思いもよらぬ引き分けの要因ではないだろう。デコがいなくなると、中盤から前線へのつなぎが悪くなってしまうのを見ると、“デコ依存症”は古くて新しい問題なのかとため息が漏れそうになる。また、右サイドバックで先発したミゲルは嫌いな選手ではないが、ボジングワに比べると突破力に劣る。
 せっかく先発で使われたダニーも右サイドで起用されたせいか、本領を発揮できていないようだった。残り15分で投入されたヌーノ・ゴメスの出来が良かったことを思うと、もっと早く出しても良かったのではないか、そんなことも考える。ケイロス監督の解任など私は求めないが、さい配に若干の疑問も浮かんでくるのである。

 もちろんまだ予選の先は長い。来年3月末までの長い休止期間にチームを立て直せば、挽回(ばんかい)も不可能ではない。だが、あまりにも不安だらけの予選序盤である。
 もう20年以上も前になるが、『ジェシカおばさんの事件簿』という米国のテレビドラマがあった。日本でも放映され、ポルトガルでも人気があった。ポルトガルでのタイトルは「クリーメ、ディッセ・エラ(犯罪だ、彼女は言った)」という。予選4試合を終えて、ポルトガルが得た勝ち点が5、逆に言えば勝ち点7も失っていることを思うと、「クリーズ、ディ−ゼン・エレス(危機だ、彼らは言っている)」という、下手なポルトガル語のダジャレが自然に浮かんできた。

 傲慢(ごうまん)さがポルトガル人の反感を買ったスコラーリ前監督を懐かしむ声もちらほら聞こえるようになった。ケイロスは監督の器ではなく、コーチが似合っているという人もいる。私の思いが杞憂(きゆう)であれば良いのだが……。

<了>

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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