王監督の念願だった「花道」=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

地元ファンに直接あいさつを

 9月23日、王貞治監督が辞意を表明した。
 あまりに突然の出来事だった。当日はヤフードームで北海道日本ハムとのデーゲーム。朝、福岡のスポーツ紙には「王、続投」の大見出しが躍っていた。午前9時、試合前の練習が始まった。ホークスナインはいつもと変わらない様子。選手たちも何も知らなかった。だが、王監督の胸の内は決まっていた。
 辞意を球団に伝えたのは9月20日だった。その言葉を受けた竹内孝規COO(最高執行責任者)は慌てた。その後、笠井和彦球団社長兼オーナー代行とともに慰留に努めたが、王監督の意思は変わらない。最終的な決断は23日、午前8時30分ごろだった。孫正義オーナーが王監督に「体調が許す限りは続けていただきたい」と直接訴えかけた。しかし、それでも同じだった。
「自分で“こう”と決めたら頑固で意固地なところがある」(王監督)
 そして、デーゲーム終了から約1時間後の午後5時15分、辞意表明の記者会見が開かれた。急展開で会見が開かれたのには訳がある。翌日が本拠地ヤフードームでの最終戦。王監督はその場で、地元のファンに直接自分の言葉であいさつをしたいと考えていた。今から28年前の1980年、王監督は現役を引退したがその年は長嶋茂雄監督も同時に巨人を去る年だった。そのため、王監督は「僕は長嶋さんみたいにファンの皆さんの前であいさつができなかった」と残念そうに振り返ったことがある。「就任したときは14年間も福岡にいるなんて想像もしていなかった。それだけ居心地のいい場所だった」という地元ファンの前で最後のあいさつをすることは、王監督の最も願う“花道”だったに違いない。

「思い残すことはない。幸せな14年間でした」

 24日、オリックス戦後の「ホーム最終戦セレモニー」で、王監督はマイクの前に立った。今季の戦いを振り返り「すべて監督の責任でございます。強く、強く、責任を感じております」と話した。前日の会見で笠井、竹内の両氏は「成績は関係ない。ソフトバンクの監督は王監督以外に考えられない」と言い、スタンドからは「そんなことないぞ!」「辞めないで!」と悲痛な叫びが飛んだ。しかし、王監督は「体調が十分ではなく、そのことでチームの士気にも影響が出てしまった」と反省の弁を口にした。
 選手たちは泣いていた。花束を渡す小久保裕紀の顔はぐしゃぐしゃだった。松中信彦は顔を上げられず、王監督をまともに見ることすらできなかった。己の不振が招いた結末という、責任を感じていたのだろう。
 スタンドのファンも泣いていた。95年、球界きっての弱小だった福岡ダイエーホークスに「世界の王」がやってきたのは九州のファンにとって大事件だった。しかし、勝てなかった時代には冷たい言葉を浴びせたこともあった。その後、チームは強くなった。99年、初優勝。かつての西鉄ライオンズ以来36年ぶりに福岡のチームが優勝した感激に酔いしれた。強いホークスは球界を代表する人気チームになった。王監督は福岡の、そして九州の人々にとっての誇りだった。
 だが、王監督の目に涙はなかった。場内1周のときも、胴上げのときも、最後まで笑顔だった。
「普段は涙もろい。忠臣蔵を見たらいつも同じ場面で泣いてしまう。だけど、自分のこととなるとね。損な性分ですよ」
 着替えを済ませ監督室を出て、出口へ向かう。14年間も続いた日常だった光景も、この日で最後だ。関係者出入口の扉が開くと、歓声が聞こえた。たくさんのファンが最後のひと目まで王監督を見届けようと集まっていた。王監督は晴れやかな表情で手を振った。
 帰りの車に乗り込む間際に王監督は言った。
「思い残すことはない。幸せな14年間でした」、と。

<了>
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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