断食月のバーレーンにて=日々是最終予選2008−09

宇都宮徹壱

人生2度目のラマダン

モスクでの礼拝を終えて街に繰り出す女性たち。ラマダン期間中は、夜になると街に活気がみなぎる 【宇都宮徹壱】

 羽田から関空、そしてドバイを経て、バーレーンの首都・マナマに到着したのは4日の午前9時であった。パスポートコントロールの行列に並んでいる間、ふいにガイドブックを忘れてきたことに気がつく。たとえ2度目の訪問であっても、やっぱりガイドブックがないと不安になる性分なのに、今回はまったく思い至ることなく家を飛び出してしまった。もっとも、バーレーンは今回が3度目だし、前回訪れたのは今年の3月。ワールドカップ(W杯)アジア3次予選のときである。すっかりなじみの国となってしまったバーレーンに、もはやガイドブックなど必要ないだろう。
 それにしても、この中東の何もない小さな島国に、年に2度も訪れることになろうとは……。仕事とはいえ、何やら罰ゲームでも受けているような気分である。

 実は今回もうひとつ、忘れ物というか、すっかり忘れていたことがあった。それはラマダン、すなわち断食月である。現在、全世界のイスラム教徒は、この重要な年間行事のため、日中は何も食することはできない。もちろん、われわれ異教徒は問題なく食事はできるのだが、食堂やレストランの類は夕方6時まで店を閉めたまま。ならばホテルで食事を、と思っても、人前でものを口にすることは禁じられているため(水もタバコの煙も例外ではない)、結局はルームサービスを頼んで、ひとりモソモソと食事をするしかない。ラマダン期間中は、異教徒の旅行者にとっても、何かとやっかいなのである。

 余談ながら、ラマダンのことを忘れていた理由について言及しておきたい。
 私が初めてラマダンに遭遇したのは、モロッコを訪れたときで、その時は3月初旬であった。その時の体験から、以来ずっと私は「ラマダンは春に行われる」と勝手に思い込んでいたのである。だが実際には、イスラム暦(太陰暦)は太陽暦より11日ほど短いため、その分だけ毎年後ろにずれていく。実は、私がモロッコに行ったのは大学の卒業旅行で、今から18年も昔の話だ。単純に計算すると「11日×18(年)=198日」。つまり、だいたい6カ月半だから、ピタリとつじつまが合う。計算上、およそ33年で季節が一巡することになるため「イスラム教徒は人生で2度、同じ季節のラマダンを経験する」とも言われているらしい。何とも大らかな話ではないか。

 そんなわけで18年ぶり、人生2度目のラマダンにいささか閉口しながら、バーレーンでのW杯アジア最終予選取材がスタートした。

日本中にまん延する「無関心」を打破せよ!

 この日の日本代表の練習は、19時から空港にほど近い、ムハラクというクラブのスタジアムで行われた。前回訪れた時よりも、明らかに気温が高い。この時点での気温は33度、湿度は58%。風はない。熱い大気がねっとりと体にまとわりつくような感覚で、じっとしていても噴き出すように汗が流れてくる。今回のバーレーン戦のキックオフは21時30分(日本時間では7日未明の3時30分)と遅めに設定されているが、それでも環境の苛酷さに変わりはない。極東の夏とは明らかに質の異なる中東の熱気は、日本の選手たちを苦しめることになりそうだ。

 ほの暗い照明の下で始まった練習は、冒頭15分の公開のみで、すぐにクローズとなった。いつものこととはいえ、軽いアップと「鳥かご」くらいでは、指揮官の意図も選手たちのコンディションも、さらには当日のスタメンや戦術も分かったものではない。スタジアムの外に排除された取材陣は、練習が終わるのをじっと待ち続け、三々五々出てくる選手たちをつかまえては、彼らのコメントから練習内容と岡田監督の思惑を類推していくしかない。とはいえ、当然ながら現状の条件では、確信に満ちた記事を書くのは難しい。良心的な取材を心掛けるほど、論調は慎重にならざるを得ず、それは回りまわってファンの代表への無関心を補強しているように、私には思えてならない。

 日本を出る時、私が最も気になっていたのが、実はこの構造的な「無関心」であった。間もなくW杯出場権を懸けたアジア最終予選が始まるというのに、サッカーファンの間でさえ盛り上がりに欠ける、このまったりとした雰囲気はいったい何に起因するのか。別に「岡田ジャパン」を嫌っているわけでも、評価していないわけでもない、単なる「無関心」。端的にいって、今回の最終予選で日本が最も警戒すべき敵は、バーレーンでもオーストラリアでもなく、この不気味に横たわる国民的「無関心」なのだと思う。

 もはやW杯出場が「当たり前」と思えるようになったのか。それとも2年前のW杯と今回の北京五輪での代表の戦いぶりに失望したからか。あるいはその両方なのか、もっと別の理由なのか、それは分からない。いずれにせよ確実に言えるのは、この初戦のバーレーン戦が万一、不本意な結果に終わったならば、日本中にまん延する「無関心」は一転、怒号のようなネガティブな批判へと雪崩を打つことになる、ということである。

 もちろん私自身、今の代表に対しては、物足りなさや不満を感じる部分は少なからず持っている。それでも、この最終予選はしっかり突破してほしいという思いのほうが、はるかに強いことは言うまでもない。では、そのために自分に何ができるか――。せめて、この「無関心」という空気を打破する一助となりたい。そんなわけで、たった3日間の滞在期間ではあるが、久々に日記形式のコラムを再開することにした。ささやかな試みではあるが、過酷なアウエーの地での真剣勝負の雰囲気をお伝えできれば幸いである。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント