柳本ジャパンに最後まで残った課題=バレー女子

田中夕子

ブラジルに完敗した全日本女子。4年後への戦いはすでに始まっている 【写真は共同】

 ブラジルの勝利が決まった瞬間、選手たちは落胆しながらもどこか淡々としていた。まずは主将・竹下佳江のもとへ、柳本晶一監督が近寄り、右手を差し出し握手を交わす。次いで高橋みゆきの、そして順々に1人1人の手を握り締め、短い言葉を交わした。
 2003年の就任直後から、柳本監督は「アテネに出場し、北京でメダルを取る」と公言してきた。「アテネ出場」という1つの公約は早々に達成されたが、最大目標であるはずの「北京でメダル」は果たせずに迎えた終焉(しゅうえん)だった。

柳本ジャパンに発生していた“パターン”

 柳本監督も「4年間、同じチームで戦ってきて、練習、合宿をしてきた」と自認するように、主力選手に大きな変動はない。もちろん毎年招集されるメンバーに多少の違いはある。しかし、ここ1〜2年だけを見れば、ケガで戦列を離れていた栗原恵を除けば、柳本監督が「私も含めた三位一体の存在」と信頼を寄せる竹下、高橋、「アテネ組」の杉山祥子、木村沙織、さらには荒木絵里香、佐野優子の7人がほぼ不動のメンバーとしてコートに立ち続けた。
 竹下が「最終予選以後は、バックアタックのスピードを強化してきた」と話すように、同じメンバーで戦うからこそ、新たな戦術を試み、その精度を高めることも可能ではあった。だがその反面、同じメンバーゆえ、勝つとき、負けるとき、それぞれに「パターン」が存在しつつあったことも否めない。
 例えば、五輪最終戦となったブラジル戦の第1セットがそうであったように、世界ランク上位のチームは、木村を狙ってサーブを打つ。木村自身も「自分が狙われるのは分かっているし、そこで崩されないようにしなければダメ」と課題として掲げているが、日本人選手とは高さやパワーで異なる外国人選手のジャンプフローターサーブの返球に苦しむ場面は多く見られ、この試合でも3番・マリのサーブ時に7点を献上した。

 課題であり、問題として提示するのであればそこからだ。木村が狙われ、崩されていてもそれに代わって投入する選手がいない。レシーブ要員の櫻井由香、サーブカットに定評のある狩野美雪など守備面で課題を克服できる選手はいるが、バックアタックも打つ木村の代わりを果たせるわけではない。
 サーブカットが崩されるとコンビネーションを組み立てることができず、結果、負けパターンに陥る。そして試合後には「サーブで崩され、思うようなバレーができなかった」と反省の弁が繰り返し述べられる。「カットが崩されてから、どうするか」という打開策は、最後まで示されることがなかった。
 選手自身がアテネの経験を糧に、まさに死に物狂いの努力で、北京までの日々を過ごしてきたことは間違いない。だが、根本的な課題を克服することができずにいるなか、世界のレベルはさらに向上を続けた。新たに組み込まれた攻撃パターンをもってしても、追いつき、追い越すことはできなかった。

3つの五輪を経て

 8年前、日本女子バレーボールチームは初めて五輪への出場権を逃した。その悔しさと屈辱をバネに、日本女子バレーは変化を余儀なくされた。
 そして4年後、出場権をつかんだアテネでは「出場」を目指すチームと「勝利」を目指すチームの間に存在する圧倒的な力の差を痛感させられた。五輪の借りを、五輪で返すべく、「メダル奪取」を誓ったが、やはりまた、世界の壁にはね返された。
 シドニーからアテネ、そして北京へと走り続けた竹下が、最後に言った。
「世界との差は縮まっている。この敗戦の中から、日本がやっていくバレーの方向性が出てくると思います」
 まずは明確な課題の克服から。日本女子バレーが、また新たな変貌(へんぼう)のときを迎えた。

<了>
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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