「監督のひとこと」が選手を救う=タジケンの高校野球観戦記

田尻賢誉

帽子に書かれた「ありがとう」

 1対1で迎えた7回裏、高岡商高の攻撃。2死一、二塁で打席に入る阿部達也に向かって、宮袋誠監督は自らの帽子を脱ぎ「帽子のひさしの裏を見ろ」というしぐさをした。それに従い、阿部はヘルメットを脱いでヘルメットのひさしの裏を見た。
 そして、初球。阿部は思い切ってスイングする。134キロのストレートをとらえた打球は、ライナーで右中間を破る勝ち越しの三塁打になった。高岡商高はさらに3連続安打でこの回合計4得点。試合を決定づけた。

 ひさしの裏を見ることには、どんな意味があったのか。阿部はこう説明する。
「『ありがとう』がこのチームが去年の秋からテーマにしていることなんです」
 阿部の帽子のひさしの裏には大きく太字で『ありがとう』の文字。さらにそのすぐ上の狭いスペースには、小さい文字で『ありがとう』と書かれていた。この字は試合当日の朝、ホテルで宮袋監督がメンバー全員の帽子に書き込んだもの。阿部は、打席に入る前のあの行為が大きかったと言う。
「(やるとやらないでは)全然違いますね。もちろん、ヘルメットには何も書いてないんですけど、ヘルメットを取って、(帽子に書いてある)『ありがとう』を思い浮かべました。『ありがとう』と思うと、謙虚な気持ちになれるんです。つなげてくれたみんなに感謝の気持ちを持って打席に立つことができました」

 接戦の終盤に迎えた大チャンス。「オレが打たなきゃいけない」と思いがちな場面で、阿部は冷静になれた。それがあの一打を生んだ要因だった。

緊張する選手を救った「ひとこと」

 監督のひとこと。これが選手にもたらす影響は大きい。4日の本荘高対鳴門工高戦では、こんなこともあった。

 2対3と1点リードされた9回裏、鳴門工の攻撃。1死一、二塁の場面で打席に向かったのが、五番・ライトの岡山哲士だった。同点の走者だけでなく、サヨナラの走者を一塁に置く大チャンス。ところが、岡山の目は潤んでいた。
 実は9回表、2対2の同点に追いつかれた直後の守りで、岡山はライト後方へのフライを落球(記録は二塁打)。自らのミスで勝ち越し点を与えていた。自分のせいで負けたらどうしよう……。そう思うと、込み上げてくるものを抑えられなかった。

 そんな岡山に気づいたのが、高橋広監督だった。そしてひとこと、こう声をかけた。
「1球目にセーフティ(バント)の構えをしてみろ」
 言葉通り、岡山は初球をセーフティの構えで見送る。スライダーが低めに外れてボール。これで岡山は自分を取り戻した。
「あのひとことで楽になりました。(セーフティの構えをしたことで)ボールが見えるようになった。(ミスを取り返すために)打ちたい、打ちたいという気持ちがあったんですけど、冷静になれました」
 岡山はこの後も落ち着いて3球を見送り、ストレートの四球を選んだ。1死満塁と好機を広げた鳴門工高は、続く賀川健太、松浦健太が連打してサヨナラ勝ちを収めた。
 高橋監督は岡山に声をかけた理由をこう説明する。
「(目の潤んでいた岡山を見て)打たせたらゲッツーになるだろうなと思ったんです」
 自分を見失っていた岡山の力を抜く、絶好のアドバイス。岡山にとっても、鳴門工高にとっても、大きな、大きなひとことだった。

 たったひとこと。監督の影響力が大きい高校野球ではそれが大きな意味を持つ。高岡商高も、鳴門工高も、監督のひとことがなければどうなっていたかわからない。だからといって、いつも何か指示をしていればいいというものでもないだろう。集中し、いい意味で自分の世界に入っている選手には、あえて無言で任せることも必要だからだ。空気を読み、選手の表情を読む。ここぞという場面で、いかにタイミングよく指示を送れるか。サインを送るだけが監督のさい配ではない。

<了>
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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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