入江陵介、世界一美しいフォームを武器にメダルを狙う=ハギトモの北京五輪注目スイマー

萩原智子

プレッシャーの恐怖と不安で流した涙

五輪出場決定後のインタビューでは、こらえ切れずに涙がこぼれた 【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】

 しかし4月に行われた北京五輪代表選考会は、勢いに乗る入江選手に過酷な試練を与えました。競泳の五輪選考会は一発選考で、2位までに入らなければいけないと同時に、標準記録も突破しなければならない厳しい条件。
 試合の1カ月前、初めての五輪選考会にチャレンジする彼は、「いつもの試合と変わらない。自分らしいレースをしたい」と笑顔で話していました。それは無理をしているわけでもなく、練習も順調にいっていたからこそ出た、純粋な言葉だったと思います。

 迎えた選考会。1カ月前の笑顔は影を潜め、緊張と不安、プレッシャーと必死に戦っている入江選手がいました。さらにその精神的な乱れは、世界一美しい、芸術品ともいえる泳ぎに影響しました。予選、準決勝では、普段よりボディーポジションが低く、体の軸もブレ、蛇行して泳ぐ彼がいました。メーンの200m背泳ぎ決勝前夜、彼はレースに対する恐怖と不安で涙を流したそうです。
 日本記録保持者として臨む初めての大会、初めての五輪出場を目指す選考会。そうした初めての経験が重なり、大きなプレッシャーの中で、自分を見失っていたのです。

覚悟を決めて臨んだ代表選考レース

 その極限の緊張感の中で、入江選手を支えたのは、彼の素直さでした。自分の苦しい胸の内を自分の胸にため込まず、素直に認め、周りに助けを求めたのです。自分自身の弱みを人に見せることは、なかなかできることではありません。恐怖、不安、プレッシャーを涙と一緒に流すことによって、心の整理ができたのでしょう。

 翌日、北京五輪代表が決定する決勝。すべてを吹っ切った入江選手のりりしい顔がありました。「五輪へ行けなかったら、水泳をやめよう」と覚悟を決めて臨んだレースでは、いつもの美しい泳ぎが戻り、積極的にレースを引っ張る入江選手を見ることができました。前半からトップを譲らず、泳ぎ切った200m背泳ぎ。彼は、夢であった五輪出場権を獲得し、レース後、「人の温かさを知りました」とコメントしました。

 選手は、スタート台へ立つ時、一人きりです。しかし、本当は一人ではないのです。たくさんの人の助けや支え、励ましを受け、大舞台へ立っているのです。
 何度も何度も、周りへの感謝の気持ちを表現する入江選手の姿が印象的でした。スタート台へ立ったとき、どれだけ感謝の気持ちを持つことができるのか。感謝の気持ちは、選手にとって、大きなパワーの源となるのです。

夢のメダル獲得へ 前半からの積極性が重要

 北京五輪代表選手となった彼は、今までとは違った顔を見せるようになりました。日本競泳チームの中でも、勢いのあるニューヒーローというだけではなく、世界を本気で目指す実力者の一人としての存在感があります。

 北京五輪の男子200m背泳ぎでメダルを争う選手たちは、ほとんどが20代。入江選手のように10代の選手は、珍しい存在です。海外の選手たちは、入江選手の勢いに脅威を感じていることは確かです。五輪の舞台で、入江選手らしい美しい泳ぎ、積極的な泳ぎをすることができれば、目標である銅メダル獲得も夢ではありません。まだまだ伸びしろのある入江選手には、大いにチャンスがあります。

 競泳ジャパンオープン(6月6〜8日開催)では、北京五輪を想定したレースを試すことになるでしょう。入江選手は、プレッシャーから解放され、今、選考会よりも調子が上がっていると話しています。どんな泳ぎを見せてくれるのか、楽しみでもあります。
 200m背泳ぎの前半100mを56秒台で折り返すことが、北京五輪へ向けての大きな課題になります。やはり世界と戦う場合、前半からの遅れは、致命傷となるのです。今回、この課題をクリアすべく、入江選手は、前半から積極性に泳ぐことになるでしょう。彼の積極性に注目です。

 アスリートにとって、無駄な経験はありません。良いことも、悪いことも、すべてにおいて意味があります。8月まで、また山あり谷ありの経験をするでしょう。しかし彼には、今までの経験と周りの人々の支え、そして素直さがあります。彼の美しいフォームのように、いつまでも素直に、真っ直ぐに伸び続けてほしい。心からそう祈っています。

<了>

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著者プロフィール

2000年シドニー五輪200メートル背泳ぎ4位入賞。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、現在でも4×100メートルフリーリレー、100メートル個人メドレー短水路の日本記録を保持しているオールラウンドスイマー。現在は、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員を務めるかたわら、水泳解説や水泳指導のため、全国を駆け回る日々を続けている

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