スコラーリ時代の終わりを前に=ポルトガル代表と歩んだ6年間
スコラーリ時代の最終章
ポルトガル代表を真の強豪国に育て上げたスコラーリ監督。ユーロ2008はその集大成となる 【Getty Images/AFLO】
ところで、今回のコラムでは、ポルトガル代表の戦力分析に基づき、「ユーロ」でのその可能性を探ろうとするつもりはない。そうした困難な作業はほかの専門家の方々に任せることにして、私はいよいよ最終章を(たぶん)迎えるであろう、5年間以上に及んだポルトガル代表の「スコラーリ時代」を総括してみたいと思うのである。これまでも私はスポーツナビのコラムの中で、スコラーリ監督について何度か論じてきたが、ユーロ2008の終わりと同時に、おそらくはポルトガル代表を去ることになるスコラーリ監督がポルトガルサッカーの何を変え、何をもたらし、何を置き土産としていくのか、考えてみたいのである。
輝かしい(?)戦績
ところで、ポルトガル代表監督の在位年数の平均は約2年間と言われる。となると、5年間を過ぎたスコラーリ監督はかなりの「長寿」ということになる。実際、在位期間の長さで彼の上を行くのは、ポルトガル代表監督を3度も務めたことがあるカンディド・デ・オリベイラという伝説的な人物だけであり、しかもこのオリベイラ監督が10年間ポルトガル代表を率いた時は、試合がほとんど行われなかった第2次世界大戦の時期と重なってもいた。従って、スコラーリ監督こそがポルトガル代表監督としては「最長寿」と言ったとしても、あながち間違いではないのである。もちろん、最多試合数をこなしている。
現在はなにしろ試合数が多く、20〜30年前と比べると、代表監督のメディア露出度が圧倒的に高くなっていることもあり、スコラーリは「勝つ」監督というイメージが強いかもしれない。だが、少し冷静になって数学的に考えてみると、彼が必ずしもポルトガル代表の歴史においてナンバーワンではない側面があることも分かってくる。それは勝率である。
引き分けを0.5勝として計算すると、スコラーリ監督はトップではなく、歴代5位となる。ちなみに上位4人には、ユーロ2000時の監督ウンベルト・コエーリョ、スコラーリ監督の前任者アゴスティーニョ・オリベイラ(4試合のみ)という極めて最近の監督と、ジョゼ・アウグスト、マヌエル・ダ・ルス・アフォンソという懐かしい名前が見える。特に勝率1位のマヌエル・ダ・ルス・アフォンソは、1966年W杯・イングランド大会で3位入賞を果たした時の監督である(実質的な監督はブラジル人オト・グロリアであったが)。
さらにもうひとつ、スコラーリ監督の人もうらやむ戦績の中で気になる点がある。それは親善試合の対戦相手である。昨年と今年は傾向が若干異なるのだが、それ以前は格下のチームを相手に勝ち星を拾っているという趣があった。2003年はマケドニア、ボリビア、カザフスタン、クウェート、2004年はルクセンブルク、リトアニア、2005年ならカナダ、エジプト、そして2006年はサウジアラビア、カーボ・ベルデ、ルクセンブルクといったところである。
もちろん、さまざまな地域の異なるタイプのサッカーをする国々と対戦するのは良いことだろう。しかし、自らのイメージアップのために、比較的楽に勝てそうな対戦相手を自由に選んでいるとしたら……。ちょっと話は違ってくるのかもしれない。
また、今の時代、容易に勝てる「カモ」など存在しないとよく言うが、それでも、ポルトガルが2006年W杯予選でも、ユーロ2008予選でも、わりと楽なグループに入ったこともまた事実である。今から4年前、そして2年前、「ポルトガルの予選突破は苦しい」と予想した者がいただろうか。運も実力のうちと言えばそれまでだが、スコラーリ監督が2度の予選の組み分けに関して幸運だったことは否定できない。
従って、70近く試合をこなしながらも、特筆すべき勝利は、2003年3月の対ブラジル戦、ユーロ2004のスペイン、オランダ、イングランド戦(PK戦勝利)、2006年W杯のオランダ、イングランド戦(PK戦勝利)くらいではないか、という批判的意見が聞かれるのも仕方ないのかもしれない。