スコラーリ時代の終わりを前に=ポルトガル代表と歩んだ6年間

市之瀬敦

スコラーリ時代の最終章

ポルトガル代表を真の強豪国に育て上げたスコラーリ監督。ユーロ2008はその集大成となる 【Getty Images/AFLO】

「ユーロ(欧州選手権)2008」の開幕が間近に迫ってきた。4年に一度、世界中の熱い視線がヨーロッパに一斉に注がれる1カ月の到来である。うれしいことに、ポルトガル代表もその場に姿を見せる。しかも、優勝候補の筆頭とは言わないまでも、その一角は間違いなく占めている。チャンピオンズリーグを決勝戦まで戦ったクリスティアーノ・ロナウドの疲労度が心配ではあるが、彼が世界中のサッカーファンの期待を裏切ることはないと信じたい。

 ところで、今回のコラムでは、ポルトガル代表の戦力分析に基づき、「ユーロ」でのその可能性を探ろうとするつもりはない。そうした困難な作業はほかの専門家の方々に任せることにして、私はいよいよ最終章を(たぶん)迎えるであろう、5年間以上に及んだポルトガル代表の「スコラーリ時代」を総括してみたいと思うのである。これまでも私はスポーツナビのコラムの中で、スコラーリ監督について何度か論じてきたが、ユーロ2008の終わりと同時に、おそらくはポルトガル代表を去ることになるスコラーリ監督がポルトガルサッカーの何を変え、何をもたらし、何を置き土産としていくのか、考えてみたいのである。

輝かしい(?)戦績

 まずはユーロ2008までの彼の戦績を見てみよう。親善試合を含め、ワールドカップ(W杯)本大会の試合などすべてを計算に入れてみると、2003年2月12日の対イタリア戦からポルトガル代表の指揮を執ったスコラーリ監督は、今年3月末の対ギリシャ戦まで69試合を戦い、39勝12敗18分(PK戦は引き分け扱い)という戦績を残している。なかなか立派な成績ではないだろうか。

 ところで、ポルトガル代表監督の在位年数の平均は約2年間と言われる。となると、5年間を過ぎたスコラーリ監督はかなりの「長寿」ということになる。実際、在位期間の長さで彼の上を行くのは、ポルトガル代表監督を3度も務めたことがあるカンディド・デ・オリベイラという伝説的な人物だけであり、しかもこのオリベイラ監督が10年間ポルトガル代表を率いた時は、試合がほとんど行われなかった第2次世界大戦の時期と重なってもいた。従って、スコラーリ監督こそがポルトガル代表監督としては「最長寿」と言ったとしても、あながち間違いではないのである。もちろん、最多試合数をこなしている。

 現在はなにしろ試合数が多く、20〜30年前と比べると、代表監督のメディア露出度が圧倒的に高くなっていることもあり、スコラーリは「勝つ」監督というイメージが強いかもしれない。だが、少し冷静になって数学的に考えてみると、彼が必ずしもポルトガル代表の歴史においてナンバーワンではない側面があることも分かってくる。それは勝率である。

 引き分けを0.5勝として計算すると、スコラーリ監督はトップではなく、歴代5位となる。ちなみに上位4人には、ユーロ2000時の監督ウンベルト・コエーリョ、スコラーリ監督の前任者アゴスティーニョ・オリベイラ(4試合のみ)という極めて最近の監督と、ジョゼ・アウグスト、マヌエル・ダ・ルス・アフォンソという懐かしい名前が見える。特に勝率1位のマヌエル・ダ・ルス・アフォンソは、1966年W杯・イングランド大会で3位入賞を果たした時の監督である(実質的な監督はブラジル人オト・グロリアであったが)。

 さらにもうひとつ、スコラーリ監督の人もうらやむ戦績の中で気になる点がある。それは親善試合の対戦相手である。昨年と今年は傾向が若干異なるのだが、それ以前は格下のチームを相手に勝ち星を拾っているという趣があった。2003年はマケドニア、ボリビア、カザフスタン、クウェート、2004年はルクセンブルク、リトアニア、2005年ならカナダ、エジプト、そして2006年はサウジアラビア、カーボ・ベルデ、ルクセンブルクといったところである。

 もちろん、さまざまな地域の異なるタイプのサッカーをする国々と対戦するのは良いことだろう。しかし、自らのイメージアップのために、比較的楽に勝てそうな対戦相手を自由に選んでいるとしたら……。ちょっと話は違ってくるのかもしれない。

 また、今の時代、容易に勝てる「カモ」など存在しないとよく言うが、それでも、ポルトガルが2006年W杯予選でも、ユーロ2008予選でも、わりと楽なグループに入ったこともまた事実である。今から4年前、そして2年前、「ポルトガルの予選突破は苦しい」と予想した者がいただろうか。運も実力のうちと言えばそれまでだが、スコラーリ監督が2度の予選の組み分けに関して幸運だったことは否定できない。

 従って、70近く試合をこなしながらも、特筆すべき勝利は、2003年3月の対ブラジル戦、ユーロ2004のスペイン、オランダ、イングランド戦(PK戦勝利)、2006年W杯のオランダ、イングランド戦(PK戦勝利)くらいではないか、という批判的意見が聞かれるのも仕方ないのかもしれない。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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