スコラーリ時代の終わりを前に=ポルトガル代表と歩んだ6年間

市之瀬敦

スコラーリ監督が代表に持ち込んだものとは?

 では、スコラーリ監督が解決すべきポルトガル代表の問題とは何だったのだろうか。それは「規律」の欠如である。彼が監督に就任したころはまだ、ポルトガルサッカー界は、1986年W杯・メキシコ大会で代表選手たちが協会に反旗を翻し、練習をボイコットした事件、いわゆる「サルティージョ事件」の後遺症を引きずっていたという。さらに、90年代にも、選手が代表監督に暴行を加えたり、合宿中に売春婦を連れ込んだりといったスキャンダルがメディアをにぎわしたりした。いや、2002年日韓大会のときも、ジョアン・ピントが韓国戦で審判にボディーブローを浴びせ、退場処分に遭っている。
 ポルトガルサッカー界を悩ます「規律の欠如」、これこそが最大の敵だったのである。

 そこで、スコラーリ監督の挑戦が始まったのだが、このテーマに関しては、彼は適役だったように思える。何しろ「軍曹」というニックネームをつけられるくらい、強面で、権威主義的で、そして強いパーソナリティーを持っているのだから。代表チームに規律をたたき込むのにうってつけの人物であった。それはあたかも、1910年に共和制になってから16年間にわたり政治も経済も社会も混乱を極めた時代の後に、サラザールという権威主義的な独裁者が登場し、ポルトガル人の精神を鎮めた時のことのようでもあった。

 といっても、スコラーリ監督が選手たちに常に高圧的に接し、怒鳴りつけ、そして規律をたたき込んだというわけではなかった。彼は時に、しかも正確なタイミングで、選手たちに優しく接し、仲間となるのだった。すなわち、スコラーリ監督は代表チームを家族のように扱い、むしろ外部に敵を作り、反対に内部の結束を固め、自らが課す規律を重んじさせる手法を選んでいた。

 そして、外部の敵として最初に選ばれたのがFCポルトであり、個別の選手としてはFCポルトのリーダー的存在にして名GKビットル・バイーアであった。2003年から04年にかけて、バイーアは欧州最高峰のGKの1人であった。にもかかわらず、理由を明らかにすることもなく、スコラーリ監督は一度も代表に呼ばず、スポルティングのリカルドを使い続けた(リカルドもいいGKだが)。バイーアは言われなき犠牲者であったといってよいだろう。それにしても、スコラーリ監督が記者会見でよく口にした「招集しない選手に関してはコメントしない」という返答は、理不尽にも思えるが、なかなか便利で使い勝手がよさそうだ。

 もちろん、メディアも、そして一部のファンも黙っていたわけではない。スコラーリ監督の「アンチ・ポルト感情」は糾弾の的となったのだ。だが、それとて同監督の思うつぼ。織り込み済みの反応だったはずだ。バイーアを呼ばない理由をある記者から尋ねられた時にスコラーリ監督が発し、後に有名になったフレーズに、「あー、あなたはリスボンの方か、神に感謝だ」というのがあるが、このようにポルトを敵視していることをあえて隠そうともしなかったのである。

 しかし、ポルトを敵視する時、スコラーリ監督は胸の内で計算していたに違いない。確かに国内リーグでFCポルトは強い。とはいえ、ポルトガルのサッカーファンの大半はベンフィカとスポルティングというリスボンの2大クラブのサポーターであり、その支持があれば世論一般を味方にすることができるだろう、と。しかも、ポルトガル代表の主力級は大半が国外クラブに所属する。ポルトの反発は怖くなかったのである。

 あえて外部に敵を作り、外敵から身うちを守ることで、自らの力を誇示し、同時に結束を固める。ありふれた手法かもしれないが、有効であったことは確かである。何しろユーロ2004準優勝、2006年W杯4位と、結果は出ているのだ。

 その後も、批判的なジャーナリストと衝突したり、昨年はマンチェスター・ユナイテッドのケイロス・コーチとも衝突している。だが、外部からの批判を結束強化のエネルギー源とする。こうしたスコラーリ戦術は、すでに見え透いてはいるが、それでもなお機能しているのだ。

 確固たる規律と団結、ポルトガル代表にこの2つが備わっただけでも大きな武器である。さらに、スコラーリ監督はブラジル時代から続く聖母マリアへの深い信仰心をポルトガル代表にも伝えた。ユーロ2004そして2006年W杯のPK戦でポルトガル代表が見せた勝負強さの背景に、強い「祈り」があったことは否定できまい。そして、これだけそろえば、スコラーリ監督の下での栄光は当然のものであったのかもしれない。

したたかに勝利せよ!

 長いコラムになってしまったが、そろそろ終わりにしよう。
 私はスコラーリ監督が「神」だとは思わない。敬虔(けいけん)なクリスチャンである彼が、そもそもそんな呼び名を受け入れるわけもない。また、「スコラーリ神話」なるものが存在するはずもない。彼は現実世界を冷静に生きている。だが、多少ずる賢いところがあるにしても、スコラーリ監督がポルトガルサッカー界に数多くの勝利、栄光をもたらしたことは確かであり、その意味で「名将」という呼称を使うことは可能だろう。

 スコラーリ監督の最後の置き土産が「ユーロ初制覇」なら最高だと思う。その可能性も低くはない。しかし、それが不可能であったとしても、ポルトガル代表が世界で勝利するための種はすでにまかれているのではないか。かつて独裁者サラザールは、ポルトガル国民に「神、祖国、家族」という教訓を与えた。それにならって言えば、スコラーリ監督は「規律、結束、不屈」をポルトガル代表に残すことになるのかもしれない(「不屈」の代わりに「祈り」でもよいだろう)。

 かなりしたたかなブラジル人と、5年余りも共に歩んだポルトガル代表。今後、そのしたたかさを選手たちが国際舞台で発揮できれば、違う監督の下でポルトガル代表がW杯を制する日も必ずやってくるに違いない。ポルトガルのサッカーファンは、その時にはもう一度スコラーリ監督を思い出し、彼の故郷ブラジル南部リオグランデドスル州にあるカラバジオ聖堂まで行かないまでも、ポルトガルの聖地マティマのマリア像の前でひざまずく必要があるだろう。

<了>

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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