ウーゴ・サンチェス、イメージの失墜=メキシコ代表監督を解任された国民的英雄
念願のメキシコ代表監督就任会見では満面の笑みを浮かべていたウーゴ・サンチェスだったが…… 【Photo:AFLO】
リーガで5回得点王に輝いた栄光の日々
サンチェスもリーガ・エスパニョーラで5回の得点王に輝き、ゴールを決めると宙返りパフォーマンスを行うことでも人気を博した。そして何より、サンチェスは母国メキシコの人たちを熱狂させたのだった。当時のメキシコは代表チームでもクラブチームでも、サンチェスほどの栄冠と地位を獲得することは不可能だったからだ。
サンチェスはすべての広告や雑誌の表紙を独占した。当時のメキシコフットボール界において、彼以外に海外でプレーしている選手はほとんどいなかった。今も昔も、国内クラブのサラリーは十分満足できるレベルであったし、何より海外移住という伝統がメキシコにはなかったからだ。
サンチェスの場合、当時のアトレティコ・マドリーの会長が、このメキシコ人ストライカーを気に入るという幸運があった。会長は最初、クルス・アスルのマルドナードの視察にメキシコへ行ったのだが、プーマスに所属していたサンチェスが目の前で連続ゴールを決め、強烈な印象を残したのだった。結局、アトレティコはサンチェスを獲得し、そこからマニート(サンチェスの愛称)の栄光の歴史が始まった。とはいえ、スペインでの1年目は活躍できず、周囲はプーマスにとんぼ返りすると思っていた。だが、サンチェスは成功を納めるまでスペインに残ると言い張ったのだった。
サンチェスのW杯になるはずが……
78年のアルゼンチン大会では、メキシコはグループリーグ3連敗を喫し、勝ち点0のまま帰国の途についた。しかも、西ドイツ戦は0−6の大敗だった。地元開催となった86年大会は、誰もが“サンチェスのW杯”になると信じて疑わなかった。だが、大きな活躍を見せられなかったのみならず、グループリーグのパラグアイ戦では、守護神フェルナンデス相手にPKを失敗。メキシコはベスト8には進出したが、母国の人々を失望させる結果となった。