そして、2位に浮上 市之瀬敦の「ポルトガルサッカーの光と影」

市之瀬敦

“脅迫”にも動じないポルトガル

いまや世界最高の選手に近づきつつあるC・ロナウド。デコがいなくとも、ポルトガルにはこの男がいる 【 (C)Getty Images/AFLO】

 3月24日と28日に行われたユーロ2008(欧州選手権)の予選2試合。ポルトガルはホームでベルギー、そしてアウエーでセルビアと対戦した。結果はベルギーに4−0で圧勝、セルビアとは1−1で引き分けであった。
 ユーロ予選が始まる前、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督が練った戦略は、ホームで勝利し、アウエーで引き分けるというものであったから、3月の2試合に関しては、ノルマは十分に達成したことになる。選手たちも口にしていたが、前向きにとらえてよい結果だろう。
 クリスティアーノ・ロナウドもクアレズマも絶好調なのだから、2連勝しろよ!と不満を漏らすファンも少なくないだろうが、私が3月末の2試合であらためて実感したのは、スコラーリ監督の大きな武器である、選手やサポーターたちのメンタルコントロール、そしてメディアコントロールの巧みさである。
 読者の皆さんもご存知かもしれないが、ベルギー戦の前には相手正GKスタイン・スタイネンが地元メディアに、「クリスティアーノ・ロナウド(C・ロナウド)を2分でつぶして、担架に乗せてグラウンドを後にさせる」といった趣旨の発言をし、ポルトガル代表を“脅迫”してきたのである。
 さらに、リスボン空港に到着したベルギー代表一行を待ち受けたポルトガル人カメラマンに対し、ベルギー代表団の2人が殴る蹴るの暴行を加えたと報道された。ベルギー側はそのような事実はないと否定したが、ポルトガルのメディアでは2人のうちの1人はかつてFCポルトに所属したDFステファン・ドゥモルだと伝えられた。

 確かに、まだ国際経験の足りなかった20年前のポルトガルになら、こうした脅しは功を奏していたかもしれない。だが、ヨーロッパの主要リーグで活躍する選手が数多くいる今のポルトガルには通用するはずもなかった。どの選手もベルギー人GKの発言を冷静に受け止め(というより聞き流し)、試合に集中しようとしていた。
 そして、極めつけはスコラーリ監督であった。スタイネンの発言に関しジャーナリストから執拗(しつよう)に尋ねられると、「答えはピッチで出す」と応じ、逆に「ユーロ2004の時のように、あるいはそれ以上にベルギー人を歓迎」するよう、サポーターに訴えたのであった。しかも、予選で不調のベルギーを見下す雰囲気を戒めるかのように、ポルトガル有利説を否定して見せたのだ。そもそも、ポルトガルはこれまでの歴史で、3敗3分けと、公式戦ではベルギーには一度も勝ったことがなかったのだ。
 4−0という結果は、もちろんポルトガル人選手の実力があってこそだが、毎度のことながら、スコラーリ監督の巧みな手腕も無視できないと思うのである。

デコ不在を補える選手層

 さて、ベルギー戦とセルビア戦では、バルセロナに所属するデコが手首の手術のために出場できないことが分かっていた。しかし、たとえデコがいなくとも、C・ロナウドもいれば、クアレズマもいる現在のポルトガル代表の攻撃陣に大きな不安はない。
 ただし、誰がこの中盤のキープレーヤーの代わりを果たすのかに注目が集まるのも当然であった。ウーゴ・ビアナか、それともジョアン・モティーニョか? 結局、スコラーリ監督の答えは後者であった。
 ベルギー戦、前半の45分間に見所がなかったわけではないが、ゴールのスペクタクルは後半に待っていた。ヌーノ・ゴメスが先制点を決めると、直後にC・ロナウドがヘディングで2−0とした。3点目は本人も「説明できない」というクアレズマのスーパーゴール。
 そして締めくくりは、またしてもC・ロナウド。ベルギー人GKが予言した2分でKOどころか、逆に2点を取ってしまったのだから、本当にすごい選手である。現時点で、世界で最も輝いているプレーヤーだろう。

 ところで、ベルギー戦の試合会場は2003年にオープンした、スポルティング・リスボンのホーム、アルバラーデ・スタジアムであった。この日も4万7000人のサポーターがスタンドを埋めていたが、いまやアルバラーデにはポルトガル代表の守り神が住んでいるようにさえ思える。
 2004年の自国開催のユーロでは、ここでポルトガルはスペインとオランダを下している。2006年ワールドカップ(W杯)の予選で、ロシアを相手に7−1で大勝したのもアルバラーデであった。
 かつて、ポルトガル代表が好むスタジアムといえば、ベンフィカ・リスボンのルース・スタジアムだったが、時代は変わりつつあるのかもしれない。思い起こしてみれば、ベルギー戦で大活躍したC・ロナウド、クアレズマ、ジョアン・モティーニョはユース年代からのスポルティング育ちである。途中出場のウーゴ・ビアナもナニーもスポルティングから巣立った。
 現ポルトガル代表の主力にとり、文字通りの“ホーム”であるアルバラーデ・スタジアムは、戦いやすい舞台なのかもしれない。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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