松井大輔、ステップアップへの新シーズン=プロとして成長を遂げたル・マンでの1年

木村かや子

ガルシア新監督の下でスタートを切った松井

試行錯誤の06−07シーズンを経て、松井のステップアップへの新シーズンが始まる 【Photo:PanoramiC/AFLO】

「このチームでプレーできる時間も、たぶんもうわずかしかないから、一瞬一瞬を大切にかみしめながら(ピッチに)入りました。『ありがとう』という気持ちで」

 故障に始まり、リザーブチームへの左遷、そして復活――山あり谷ありだった2006−07シーズン最終戦の直後、ル・マンの松井大輔が言ったこの言葉は、いやでも移籍の可能性を連想させた。もっと厳密に言えば、松井は「ここに立っている時間ももう短い」と切り出して皆をドキッとさせ、それから「チームから出るやつもいるし」とフォローしたのだが、このとき彼が、仲間が去って同じチームでなくなることを指したのか、自分の移籍のことを考えていたのかは推測するしかない。想像するに、3月中旬から4月末にかけて出番のなかった6週間の間には、“移籍”の二文字も頭に浮かんだことだろう。

 しかし新シーズンが始まろうという今、松井に移籍の話はなく、どうやら今季もル・マンで、ということになりそうな気配である。彼はうわさになっていたアンツ監督の退団が決まったことを日本で聞き、「監督が変わればすべてが変わる」と不安を口にしていた。しかし、実際に新監督のルディ・ガルシアに会った後、松井は「すごくいい監督。フィーリングが合っている感じです」と、非常にポジティブな口調になっていた。新監督は穏やかでコミュニケーションを大切にし、休みも選手と話して決めるような柔軟なタイプだという。敗戦後に「日曜も練習だ!」と爆発することもあったアンツ前監督よりも「実はいいかも?」と、松井は思い直したようだ――私はこう勘繰った。

 リーグが始まってみたらガルシア監督は実はもっと熱かった、ということもないとは言えないが、選手としては落ち着いた監督の方が、気が楽だろう。しかし、感じがいいのと有能かどうかは別問題なので、こればかりは蓋を開けてみないと分からない。とはいえ現時点で大事なのは、松井がフィーリングが合うと感じていることだ。監督と合わないと起用されにくいのが、サッカー界の常だからである。

嵐を抜けて成長した06−07シーズン

 優しすぎる監督は選手をコントロールできないというケースもあるので、フランスに来たばかりのころの松井には、アンツのような叱咤激励してくれる怖い監督の方が良かったかもしれない。しかし今の松井なら、フィーリングさえ合えば穏やかでも大丈夫だという気がする。というのも、困難に満ちた昨シーズンを経て、松井がめっきり大人になったと感じられるからなのだ。

「今までで一番考えたシーズンでした。自分のプレーについてよく研究したし、本当に勉強にもなった。そういう意味で、自分のキャリアにとっていい1年だったと思います」

 松井はこう振り返った。その言葉通り、1年という短い期間の中で、松井はプロとして一段とたくましく成長していた。長びいた故障の後、調子がいいのにチームから外され、時にはベンチにも入れずに、CFA(4部に当たるアマチュアリーグ)に送られた。しかしそこからの奮起が、松井のシーズンを、ある意味で前年以上に実りあるものにしたのである。
 チームに負けが混み、1カ月半ぶりに呼び戻された松井は、復帰試合となった5月5日のナント戦を自らのゴールで飾ると、それ以後、もうトップチームから離れることはなかった。台風一過の後の晴天。最終節のニース戦でも1ゴールを決めて06−07シーズンを締めくくった後、松井は、「苦しい1年だったけれど、終わりよければすべてよし」という言葉で、嵐を抜けた感慨を表現した。

「ボールが来ない」いら立ちと模索の時期

 この見事な逆転劇以上に目を引いたのが、その裏で起こっていた松井の心理と姿勢の変化である。シーズン前半に故障する前後、松井は「自分にボールが来ない」とぼやいていた。ロマリッチが中盤センターでボール配分をつかさどっていたのだが、彼は遠距離から無理やり自分でシュートを放ったり、たとえ左サイドがノーマークでも右サイドのバングラの方ばかりにパスを出すなど、プレーが右に偏る傾向があった。そのため左サイドの松井は、フランスで言う“透明人間”(=存在感のない選手)になる。「反対側がガラ空きじゃないか」と見ている側ももどかしく思ったが、松井自身も「ボールが来ないと何もできない。(ロマリッチとバングラは)黒人同士で仲がいいから、どうしても友達にパスを出す」と、ちょっぴりいらついていた。

 そこで松井がやったことは2つある。まずはロマリッチと話し、「フリーになっているときにはボールくれよな。見ないと怒るぞ」と伝えたこと。といっても敵対するのではなく、ロッカーの位置がバングラとロマリッチの間であることを利用して、彼らとの親交を深めるように努めた。
 またアンツ監督とも話し合い、自分の意見を説明した。松井の主張は、サイドチェンジをすれば、プレーにバリエーションが出るということ。リヨンはそうすることでプレーが流動的に回っている。つまり、ル・マンには逆サイドにフリーの選手がいるのを見ていない人が多いが、そういう部分をうまくやればもっと点も入る、という理にかなったものだ。それに対し監督は、「ロマリッチのように遠くから数多く蹴って、それで(ゴールに)入るやつもいるから何とも言えないけれど、個人的にはサイドチェンジを多くしていく方が、効果的にサッカーが流れるんじゃないかと思っている」と基本的に同意した。

 これをきっかけに、サイドの偏りはわずかに改善された。しかし夜型の人間が朝型にはなれないように、少しするとまたずるずると元に戻ってロングボールがぼんぼん飛び、パスが来なくなる。松井は「(空いてる選手を)見ていないんじゃなくて、見えていない」と言ったが、確かに猪突(ちょとつ)猛進型の選手に、ミランのピルロのようなビジョンを持てといっても無理な話である。松井はまた「芝との関係もあるかもしれない」と分析している。カーペットのような日本のピッチと違い、フランスのピッチの多くは非常にでこぼこな、俗に言う“イモ畑”。そのため、サイドチェンジで精度の高いパスを蹴るのが不可能な場合が多いというのだ。リーグアンの悲しい現実に直面した松井は、暗中模索を続けていた。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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