松井大輔、ステップアップへの新シーズン=プロとして成長を遂げたル・マンでの1年

木村かや子

4部送りに6試合出番なしの苦悩

1カ月半ぶりの復帰となった5月5日のナント戦でゴールを決め、チームメートから祝福される松井 【Photo:AFLO】

 彼が、前述の監督との話し合いについて語ったのは、確か1月、故障明けのトロワ戦で復活の2ゴールを決めていいムードだった時である。ところが2月に入ると、新たな問題が持ち上った。何試合か得点に絡めない試合が続き、松井がベンチ入りや途中交代する試合の数が増え始めたのだ。2月には先発できないと言っていたのが、3月3日のナンシー戦ではベンチにも入れず、初めてCFAの試合に回された。前年には、両サイドを使ってそれなりにチームワークで攻めていたル・マンだが、昨季はパワフルな選手が加入したこともあり、明らかにパターンは“個人の力で打開”する色が強くなっていた。

「前からあんまりコンビネーションはないし、ババーンと押して、『あ?』みたいにゴールに入るのが多いから……。でもまあ勝てばいいんじゃないですか、こっち(フランス)では」。初のCFA送りの後、松井はちょっぴりヤケになってこう言った。一方のアンツ監督は、4部送りが松井に少なからぬショックを与えていたことに気づいてはいたようだ。「チームには常に競争があり、ダイ(松井)にとってもそれは同じだ。どのチームにもあることだから、ショックを受けているとしたら、彼は間違っている。シーズン終盤に向けて、私にはダイが必要なんだ」。彼はわれわれにこう説明したが、当の本人にはこれといった説明はなかったらしい。3月のある日、松井は「監督が何を考えているのか分からない」とぼそりとつぶやいていた。

 しかし、最悪の事態はこの後にやって来る。松井が再びトップチームから外された3月17日、ル・マンは“個人の力で打開”タイプのプレーが当たって、リールにアウエーで勝利した。それに気をよくした監督は、その勝利メンバーに固執する。その結果、調子は良かったにもかかわらず、松井は6試合出番なし。その間、チームに引き分けや負けが続いても、外から見ているしかすべがなかった(松井が出ていない6試合の成績は、最初の1勝の後2分け3敗)。

 松井は本来、風の向くまま気の向くままという感じに事をさらりと流し、わが道を進むタイプだ。しかしそんな彼であっても、このピッチ外にいた間は、いら立ちを感じていたに違いない。地元の記者は、松井いわく“勝手な想像”で、「松井と監督の間に意見の対立がある」とうわさし始めていた。

トップチーム復帰と復活のゴール

 しかし、そこで腐らなかったのが松井の強さだった。「我慢しなきゃいけないときもある」と腹をくくって練習に励むうちに、チームは勝ち点の獲得できない試合を重ね、アンツ監督が松井を呼び戻す。
 復帰試合となった5月5日のナント戦での松井の動きは目覚ましかった。右へ左へとめまぐるしくと動き、相手をかく乱。この試合で松井はル・マン唯一のゴールを挙げるのだが、試合後、彼は「代理人にビデオを送ってもらって、去年(05−06シーズン)良かったときのプレーを見直したんです」とその秘密を明かした。「どういうプレーをして、どう動いてたときに一番良かったかを再確認したかった。ビデオを見て、今年になって動きが足りないと感じたので、そこを意識しながら試合に臨みました。僕のボールのもらい方にも悪いところがあったと思うので」

 考えてみれば、オセール時代のカポとシセのように、選手が仲良しの相棒にボールを出すのは、そう珍しいことではない。ビジョンが狭く、ピッチ全体を使わずに勢いで攻め、勢いでゴールするのも、リヨン以外のリーグアンのクラブではいわば常識。最初は前年の残像を捨て切れずにいた松井も、次第にチームの変貌(へんぼう)とリーグアンの現実を受け入れ、その中でどうするべきかということに気持ちを切り替えたのである。

 要約すれば、松井の心理の変化は次のようなものであった。(1)ボールが来ないので当惑する→(2)もっと空いている選手を見ろよと怒る→(3)監督やチームメートと話し合い、もっとプレーを組み立てるよう主張する(=リヨンやミランを想像しながら、仲間のプレーを変えさせようと試みる)→(4)それでもまた同じことが起こり、チームから外されて一瞬落ち込む→(5)「監督は何を考えてるんだよ」とちょっぴり怒る→(6)考えを深める→(7)リーグアンの現実と、チームのプレースタイルが変わった事実を、抵抗するのではなく受け入れる→(8)その中で何ができるかを考え、自分の悪かったところを探す→(9)悪かったところを直す→(10)復活!

 確か、大学の心理学の時間に習った死に直面した人間の反応に、「驚き」→「怒り」→「悲しみ」→「甘受」→(人生の書なら、その後に「希望」と続く)というようなものがあった。対象は違うが、松井は似たような心境の変化を経て、リーグ終了前に復活を果たした。復帰戦でゴールを挙げ、指揮官がその後自分をチームから外すことのないようにしたところはさすがである。実際、松井がゴールを決めた後、ロマリッチをはじめチームメートたちが目に見えて松井にパスを出すようになった。まさに結果を出して信頼を勝ち取るというやつだ。以前のフランス代表に“困ったときにはジダンにパス”という悪い癖があったが、行き詰まったときに何とかしてくれそうな人にボールを渡すのは、どのレベルでも起こり得ることである。

チームの勝利のために戦うプロに

 チーム内では常に、仲間の信頼、監督の信頼を勝ち取るためのバトルがあり、さらにピッチ上でのバトルがある。松井は言った。「(試合に)出られないときに考えなきゃいけないことはたくさんある。そういうことをプラスにできたのはすごくうれしいし、これからも続けることが必要だなと思います」。こういう自覚が芽生えた分、アンツ監督が松井を一時期トップチームから外したことは、結果的に、彼にとって実りになった。

 アンツ監督が昨年、「ダイは、ボールと戯れるのが大好きな、体の大きな子供だ」と言ったことがあった。一方、松井はことしの初頭に「これまでは(好きなプレーを)自分だけやっていればいいやと思っていたけれど、今はチームが勝たないとすごく嫌だから、とにかく勝てるようにしたい」と心境の変化を明かしていた。
 以前、あるライターが彼のことを“さすらいのドリブラー”と呼んだことがある。一人でひょうひょうとドリブルをする、やや一匹狼のようだった彼をうまく表現した言葉だが、“さすらいの”という部分に「自分だけやっていればいいや」という、以前の彼の心理状態が表れていると取ることもできる。ボールと戯れるのが好きだった子供は、その戯れを結果に変えることを学び、“さすらいのドリブラー”は、チームのためにドリブルし、チームの勝利のために戦うプロになった。

 ル・マンとの契約をあと1年残している松井は現在、来夏のステップアップを視野に入れ、いい新シーズンを送ろうと決意している。ステップアップ――その言外の意味は、高いレベルのクラブ、あるいはより高いレベルのリーグでの新たなチャレンジだ。ビジョンがなく、プレーを組み立ててゴールに結び付けられないル・マンには限界も見える。その一方で、ビジョンとテクニックを持つ松井にも、一対一での強さや個人で打開する力に上達の余地がある。リーグアンで学べることは、まだまだあるはずだ。

 1年ほど前、松井はのんびりとした様子で「どうせなら暖かかったり、町に魅力があったりとか、そういうところのチームに行ってみたい。ヨーロッパでずっとやっていく生活も面白いかなと思ったりもします」と想像をめぐらせていた。ただし「フランス語をマスターするまではここで、と思ってるんですけど。早くマスターしたいです!」との注意書き付きで。
 奮闘と猛勉強の1年が、松井を待っている。

<了>

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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