ユーロへ、軌道修正なる 市之瀬敦の「ポルトガルサッカーの光と影」

市之瀬敦

クウェート戦の意義とは?

スコラーリ監督の手腕は高く評価されて然るべきだが、これまでの3年間にはある種の「処世術」が見え隠れする 【 (C)Getty Images/AFLO】

 ベルギー戦を終えたポルトガル代表一向は、そのまま帰国せずに、中東の地クウェートへと向かった。クウェート代表との試合となればもちろんユーロ予選ではない。つまり親善試合だったのだが、こういう試合をやってもよいものか、と思わざるをえなかった。

 理由はまず、対戦相手がクウェートというかなり格下の国であったこと。すでにスコラーリ時代であった2003年11月にポルトガルで一度対戦し、8−0で下している相手である。
 しかも、今回のクウェート代表のほぼ全員が実際は1クラブチーム、アル・サルミヤの選手から形成されていたのである。FIFA(国際サッカー連盟)のルールでは、各国のサッカー協会は地元クラブに一国の「代表」をゆだねることができるそうだが、明らかに実力差がある国の1クラブとマッチメークするのはいかがなものだろうか。

 そして、クウェートは灼熱の地。ポルトガル代表はクウェート人サッカーファンの熱い視線を受けながら、40度の気温の下で練習、そして試合をこなさなければならなかった。これでは、ベルギー戦での勝利に対するご褒美というよりは、選手たちに罰を加えたと言われても仕方ないのではないか。
 また、“クウェート代表”(“ ”をつけたくなる気持ちは分かっていただけるのではないか)は、前半と後半でメンバーが8人も交代した。たくさんの選手があこがれのポルトガル代表選手たちとプレーできたという意味では、よかったのかもしれないが、とても本気モードとは思えない。

 確かにポルトガル代表は、ブルーノ・アルベス、アントゥーネス、ダニエル・フェルナンデスの3人がA代表デビューを果たし、デコが初めてキャプテンの腕章を腕に巻き、久しぶりに代表に戻ったジョアン・トマスが代表初ゴールを決め、プティとジョルジュ・アンドラーデは代表歴が50を超えた。おめでたいことがたくさんあったのだ。
 そう、はっきり言ってしまえば、6月5日の試合は強化試合などではなく、「フェスタ」(お祭り)だったのだ。実際、スコラーリ監督も、今回のクウェート遠征の目的が「マネー」、つまりサッカー協会の金庫を潤すことであったことは公然と認めていたし、帰国後には「(ベルギー戦の)ほかは散歩だった」とまで口にしたのである。

 ポルトガル代表は今では「世界的な注目の的」であろう。言葉が下品になって恐縮だが、スター選手を「客寄せパンダ」として、世界中のどこにでも興行ツアーを敢行することが可能にちがいない。
 だが、金銭目当ての試合を重ねるチームが、いざ本番でどんな結果を残すのか、スコラーリ監督は母国の代表チームを見ていれば、よく分かっているはずではないのか。私は、クウェートに1−1で引き分けたという結果よりも、ポルトガルサッカー協会そして代表チームに弛緩(しかん)したムードが漂っていないのか、そっちの方が心配になってくるのである。

 いずれにしても、スコラーリ監督はリスボン空港に到着し、「大いに幸せな気分で自宅に帰れる」と胸を張っていたけれど、2006−07シーズンの代表最後のゲームが1−1の引き分けというのは、なんともすっきりとしないのである。

「スコラーリ神話」はノー!

 さて、これまで私は本コラムでも、ほかの個所でも、スコラーリ監督の手腕を高く評価してきた。2002年日韓ワールドカップで失態を演じたポルトガル代表チームを立て直し、地元開催の「ユーロ2004」では準優勝、そして昨年のワールドカップでは4位へと導いたのである。
 過去にはさまざまなスキャンダルを起こしてきたポルトガル代表に規律を与え、そして代表チームに不信感を抱いていた国民に、代表への信頼と愛を植えつけた。その功績は誰にも否定できまい。その実績から「スコラーリ神話」なるものが生まれても不思議ではないのかもしれない。

 スコラーリ監督のポルトガルにおける3年を見ていて思うのは、ピッチ上でのさい配の是非はともかくとして、ポルトガルのメディアや世論の動向を非常によく観察し、常に自分に有利になるように行動しているという点である。
 外国人監督に対する反発があると知れば、ポルトガル国歌を歌うことで、ポルトガル人以上にポルトガル的なブラジル人であると誇示して見せる。代表に招集したメンバーに批判が集まれば、逆にその批判を利用して、チームの結束を固めてしまう。メンバーが固定されすぎだと非難されれば、クウェート戦のように3人の選手を代表デビューさせて見せる。なかなかの「処世術」なのである。

 そして、最も大切な代表の戦績であるが、これまで59試合をこなし、35勝10敗14分という、一見申し分のないものである。しかし、中身をよく見ると、スコラーリ監督は親善試合でかなり実力差がある相手国を選び、勝利数を稼いでいる傾向もうかがえる。ホームで行ったクウェート、カナダ、カボ・ベルデとの試合などは、負けはもちろんのこと、引き分けることさえ困難といっても過言ではなさそうである。
 逆に、特筆すべき勝利はと言うと、「ユーロ2004」でのスペイン戦、オランダ戦、イングランド戦、そして昨年のワールドカップにおけるオランダ戦とイングランド戦を思い出すくらいである(2003年3月のブラジル戦も含めてもよいかもしれない)。この勝利数が多いのか、少ないのか、意見は分かれるだろうが、「神」の域には達していないのではないか。この点において、私はスコラーリ監督をあまりにも「神格化」してしまうのは危険だと思うのである。

 すでに述べたように、私はスコラーリ監督がポルトガル代表にもたらしてくれた功績は大きいと思う。直接お会いする機会があれば、感謝の言葉を伝えたいとさえ感じる。しかし、今までのスコラーリ監督の成功の背景を探ってみると、誹謗(ひぼう)や中傷は論外として、やはり建設的な批判は必要なのだと思う。彼は批判をばねにするタイプの監督なのだ。従って、ただ賞賛の言葉を連ねるだけでは、彼はポルトガル代表を誤った方向に導いてしまうかもしれない。
 何はともあれ、新シーズンとなる8月22日に予定される最初の予選試合はアルメニアとの対戦である。しかも、場所はポーランドが敗れた敵地だ。誰よりもまず、スコラーリ監督に気を引き締めてもらおう。そうすれば、ポルトガル代表はポーランドが失った勝点3をゲットすることになるだろう。予選で重要なのはマネーではない。

<この項、了>

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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